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国立西洋美術館も騙された贋作事件(2)
~詐欺師フェルナン・ルグロと愉快な仲間たち

 

1965年、来日したフランスの画商フェルナン・ルグロは、デュフィ、ドラン、モディリアーニといった巨匠のフランス近代絵画を日本人に売りつけました。
しかし、後に判明したことですが、これらはまったくの偽物でした。
ルグロは贋作画商として訴追され、絵は非公開の資料として隠されました。
このうちドランの絵画は当時の価格で約2,232万円、現在の価値に直せば2億円くらいになります。購入した国立西洋美術館は、現在は独立行政法人ですが、当時は文化庁に所属する国家施設であったため、国会で公金の使途を問い質されることになりました。
この通称ルグロ事件は、23年後に新たな事実が明るみに出て話題を呼びます。

 


贋作画商ルグロのパートナーは、贋作画家エルミア・ド・ホーリィでした。
1906年にハンガリーにユダヤ人として生まれたド・ホーリィは、1920年代にパリのモンパルナスで暮らし、エコール・ド・パリの画家と同じ空気を吸っていました。
そして、ピカソマティスマルケヴラマンク、ドラン、ヴァン・ドンゲン、藤田嗣治、レジェといった画家と知り合いになったそうです。
もちろん、20歳も30歳も年下のド・ホーリィが、それらの先輩画家と対等に付き合えるわけではありませんが、あの時代のパリにいたことが画家としての箔になりました。

しかし、芸術の都パリは、第二次世界大戦によって終わりを告げます。
ユダヤ人として強制収容所に入れられたド・ホーリィは、戦後は貧困の中にありました。自分の絵が売れないなかで、ド・ホーリィはピカソのデッサンを偽造して生活費を稼ぐようになります。
贋作家となったド・ホーリィが生活の場として選んだのはアメリカ大陸でした。アメリカではヨーロッパ人が文化人として受け入れられたし、贋作の発覚の恐れも少なかったからです。もちろん、順風満帆ではありません。しばしば偽造が発覚しそうになったド・ホーリィはたびたび名前を変えて、旅から旅のボヘミアン生活を送りました。

そんなおりに出会ったのが25歳年下のフェルナン・ルグロです。
エジプト生まれでギリシャとフランスのハーフであるルグロは、ド・ホーリィ以上のボヘミアンで、旅芸人をしながらアメリカに流れ着いたのです。
ルグロがド・ホーリィの代理人として画商を始めるまでに、時間はそれほどかかりませんでした。若くて血気盛んなルグロと、アラフィフの画家ド・ホーリィは、反社会的なビジネスのパートナーとなったのです。

実は、この話にはもう一人の登場人物がいます。
それはルグロよりもさらに8歳年下のフランス系カナダ人、レアル・ルサールです。ヒッチハイクでカナダからアメリカまで来たルサールもその日暮らしの流れ者で、ほどなく一味に加わりました。
実は、ド・ホーリィもルグロもルサールも同性愛の傾向があったそうです。ほどなくルグロとルサールは恋愛関係になり、ルサールはルグロのアシスタントをするようになりました。二人の間には痴話喧嘩がしょっちゅうありましたが、その関係は特別なものでした。

やがて、ド・ホーリィはルグロとルサールとの関係が嫌になり、ヨーロッパに逃げ出します。絵を描いているのは自分なのに、十分な報酬をもらえていないと感じたからです。
ド・ホーリィを失ったルグロとルサールですが、その後も彼らは画商として名を上げていきます。おそらくド・ホーリィに代わる贋作画家がいたのでしょう。
やがて生活に行き詰ったド・ホーリィは再びルグロとルサールと組むことになりましたが、根本的な火種は解消されていませんでした。
ルサールが次第に力をつけてルグロと対立するようになったこともあり、三者は三つ巴の争いを始めます。この争いが、最終的には彼らを逮捕へと追い込むのです。

警察が本格的に動き始めたのは1967年のことです。逃げ回ることに飽きたド・ホーリィは1968年にスペインで2ケ月間の刑に服し、1969年には売れない作家と組んで自白本『贋作』を出版しましたが、結局1976年に自殺します。
逮捕されたルグロも4年間の刑を宣告され、1979年にはド・ホーリィと言い分の異なる自伝を出版し、1983年にがんで亡くなります。
これで事件は終息したかのように見えたのですが、関係者の多くが亡くなった1988年に、沈黙を守っていたルサールが自伝『贋作への情熱―ルグロ事件の真相』を出版します。
この本の中でルサールは、ルグロの売った贋作の多くは自分が描いた絵であったと暴露し、忘れかけられていた事件に注目を再び集めました。

ルサールの主張の根拠となっているのが1973年にルグロの作った遺言状です。
そこには「絵を描いたのはレアル・ルサールであり、ド・ホーリィはサインだけしていた」と書かれていたのです。
たしかに、ド・ホーリィが一人で贋作を売っていたときには、その多くは発覚の恐れが少ないリトグラフやデッサンでした。後にルグロが数多く売るようになったフォーヴィスムの画家の油絵とは隔たりがあります。
だとしたら、暴露本で世に出たド・ホーリィは二重に嘘つきだったことになります。
とはいえ、恋愛感情で結びついていたルサールのために書かれたルグロの遺言状を、どこまで信用できるかもわかりません。

ルサールの自伝は虚実不明ですが話題を呼び、日本でも出版される運びになりました。
それぞれがそれぞれに「自分は悪くない」と主張しているので、本当のところはまったくわかりません。おそらく真実は、それらの中間にあるのでしょう。
それにしても、まったく同じ絵なのに、付属する作者の名前でその評価額が大きく変わる美術品とは、本当に不思議なものです。

 

参考文献
クリフォード・アーヴィング,1970,『贋作』早川書房
レアル・ルサール,1994,『贋作への情熱―ルグロ事件の真相』中央公論社

 

国立西洋美術館も騙された贋作事件(1)はこちら >>

 

 


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