藤田嗣治 作品販売|油絵・水彩・版画
翠波画廊では、藤田嗣治(レオナール・フジタ)の油絵・水彩・素描・版画作品を販売しています。 藤田を象徴する「乳白色の肌」の女性像をはじめ、猫、少女、子ども、自画像、パリの風景など、幅広い作品をご紹介しています。
一点物の油彩・水彩・素描から、リトグラフ、銅版画、木版画、挿画本に収録された版画まで取り扱い、作品の価格、制作年代、技法、サイズ、サイン、鑑定書、カタログ・レゾネ、来歴、保存状態などを確認したうえでご案内しています。
藤田嗣治作品の価格は、原画か版画か、制作年代、サイズ、モチーフ、希少性などによって大きく異なります。初めて藤田作品を購入される方にも、ご予算やお好みのモチーフ、飾る場所に合わせて作品をご提案いたします。
藤田嗣治(レオナール・フジタ)の作品一覧
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藤田嗣治(レオナール・フジタ)の価格帯と選び方

以下は、藤田嗣治作品を購入する際のおおよその価格帯の目安です。実際の販売価格は作品ごとに異なります。
・版画・挿画本の作品
藤田嗣治の版画には、猫、少女、子ども、女性、パリの風景など人気のモチーフが数多くあります。
挿画本に収録されていた銅版画などには、10万円台から50万円程度で購入できる作品もあります。
一方、藤田本人の直筆サイン入りリトグラフや銅版画では、50万円前後から300万円程度が一つの目安です。
「猫十態」「四十雀」「小さな職人」など人気シリーズ、猫や少女など特に人気の高い図柄、希少なサイン入り作品では、さらに高額になる場合があります。
・素描・鉛筆・ペン画
藤田自身が直接描いた素描や鉛筆画は一点物です。
小品では100万円台から500万円程度の作品がありますが、制作年代、モチーフ、描き込みによって大きく異なります。
猫、少女、裸婦など藤田を象徴するモチーフや重要な制作年代の作品では、それ以上になることもあります。
・水彩・グワッシュなどの肉筆作品
水彩、グワッシュ、インクなどによる作品も一点物です。
小品では200万円前後から、内容の充実した人物画、猫、少女、1930年代など重要な時期の作品では、1,000万円~2,000万円を超える場合もあります。
・油彩作品
藤田嗣治の油彩作品は、制作年代、サイズ、モチーフ、作品の質、来歴によって価格差が非常に大きくなります。
小型の油彩でも数千万円規模になるものがあり、乳白色の裸婦、猫、少女など代表的なモチーフや1920年代を中心とする重要作品では、数千万円から数億円規模になることがあります。
同じ藤田作品でも価格には非常に大きな幅がありますので、「藤田嗣治ならいくら」と考えるのではなく、その作品が藤田の長い制作活動の中でどのような位置づけにあるのかを見ることが大切です。
藤田嗣治作品の購入ポイント
1.制作年代を確認する
藤田嗣治は長い制作活動の中で作風を大きく変化させています。
特に1920年代のパリで確立した「乳白色の肌」を用いた裸婦像は、藤田を代表する作品群として世界的に高く評価されています。
1930年代の中南米滞在期、戦後のパリ時代、晩年の少女や子どもを描いた作品など、それぞれに異なる魅力があります。
一点物を購入するときには、何年頃に制作された作品なのかを確認することが重要です。
2.好きなモチーフから選ぶ
藤田嗣治には、女性・裸婦、猫、少女・子ども、自画像、パリの街、宗教画など、多くの代表的なモチーフがあります。
特に猫や少女は藤田作品を初めて購入される方にも人気があります。
まずは、ご自身が長く見ていたいと感じるモチーフから選ぶことをおすすめします。
3.油彩・水彩・素描・版画の違いを見る
油彩、水彩、素描は藤田自身が直接制作した一点物です。
一方、リトグラフ、銅版画、木版画などは版を用いて制作され、作品によって限定部数やサインの有無が異なります。
一点物の希少性を重視するのか、藤田独特の繊細な線描を比較的購入しやすい価格で楽しむのかによって選択肢が変わります。
藤田嗣治の肉筆作品を購入するときには、鑑定書、カタログ・レゾネ、来歴などが重要です。
作品によっては国内の鑑定委員会による鑑定証書が付属し、海外ではSylvie Buissonらが編纂するカタログ・レゾネへの掲載・収録予定が重要な作品資料として参照されています。
5.保存状態を見る
油彩では絵具、下地、キャンバス、修復歴などを確認します。
水彩・素描・版画など紙作品では、シミ、ヤケ、退色、折れ、波打ちなどを確認します。
藤田作品は制作から長い年月が経過しているものも多いため、単に「傷みがあるか」ではなく、その年代の作品としてどの程度良好な状態なのかを見ることが大切です。
藤田嗣治(レオナール・フジタ)作品の真贋と保証について

日本では現在、藤田嗣治は東美鑑定評価機構の鑑定対象作家に含まれています。また、日動画廊内の鑑定委員会事務局でも、藤田嗣治の油彩・水彩等について随時鑑定登録を受け付けています。
海外市場では、Sylvie Buissonによる『Léonard Tsuguharu Foujita Catalogue Raisonné』が重要な作品資料として参照されています。現在もSylvie BuissonとCasimir Buissonによる新たなカタログ・レゾネへの収録・認証が、Sotheby’sなどで真正性確認の重要な根拠として用いられています。
翠波画廊では作品に応じて、鑑定書、カタログ・レゾネへの掲載、制作年代、技法・サイズ、サイン、作品裏面の記載、来歴、展覧会歴・文献掲載、保存状態などを総合的に確認します。
版画についても、制作年、技法、サイズ、直筆サイン、エディション、出版情報、カタログ資料などを確認します。
また、藤田嗣治の版画には挿画本に収録された作品など、もともと直筆サインを前提としていない真正な作品もあります。そのため、サインの有無だけで真贋を判断することはできません。
翠波画廊では、真作と判断した藤田嗣治作品のみを真作保証付きで販売し、ご購入前に確認できる鑑定書、来歴、作品資料についてご説明いたします。
ご購入に安心の3つの保証
保証1
真贋には細心の注意を、真作保証
取り扱う作品は真作と判断した
本物の作品だけをご案内しております
保証2
ご購入後30日以内の返品保証
部屋に飾って合わない場合、
ご購入後30日以内でしたら返品を承ります
藤田嗣治(レオナール・フジタ)作品でよくあるご質問
初めて藤田嗣治作品を購入するなら何がおすすめですか?
初めての方には、猫、少女、子どもなど藤田らしいモチーフを描いた版画作品もおすすめです。一点物を重視する方には、素描や水彩の小品も選択肢になります。
藤田嗣治の代表的なモチーフは何ですか?
乳白色の肌で描かれた女性・裸婦、猫、少女、子ども、自画像などが代表的です。なかでも猫は「猫の画家」と呼ばれるほど藤田を象徴するモチーフです。
「乳白色の肌」とは何ですか?
1920年代のパリで藤田が確立した独自の油彩表現です。白く滑らかな下地と繊細な墨線を組み合わせ、柔らかく透き通るような女性の肌を表現しました。
藤田嗣治の原画と版画は何が違いますか?
油彩、水彩、素描などは作家が直接制作した一点物です。リトグラフや銅版画などは版を用いて制作され、作品によって限定部数や直筆サインがあります。
藤田嗣治作品には鑑定書がありますか?
油彩・水彩・素描などの肉筆作品には、国内の鑑定委員会による鑑定証書などが付属するものがあります。作品ごとに確認できる資料をご購入前にご説明いたします。
カタログ・レゾネとは何ですか?
画家が制作した作品を調査し、制作年、技法、サイズ、来歴などを体系的に整理した作品総目録です。藤田嗣治作品を確認する際にも非常に重要な資料です。
藤田嗣治の版画には必ず直筆サインがありますか?
いいえ。直筆サイン入りの限定版画もありますが、挿画本に収録された作品など、もともとサインを前提としていない真正な版画もあります。
藤田嗣治作品の本物はどのように確認しますか?
鑑定書、カタログ・レゾネ、制作年、技法、サイズ、サイン、来歴、文献掲載、保存状態などを総合的に確認します。
東京・大阪で実物を見ることはできますか?
はい。東京・銀座店、大阪・梅田店でご覧いただける作品があります。作品によって展示場所が異なりますので、事前にお問い合わせください。
オンラインでも購入できますか?
はい。作品画像、保存状態、技法、鑑定書、来歴、カタログ・レゾネ掲載情報などをご説明し、ご来店いただかなくても購入についてご相談いただけます。
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藤田嗣治(レオナール・フジタ)略歴
| 1886年 | 明治19年11月27日東京市牛込区新小川町に生まれる。 |
|---|---|
| 1905年 | 東京美術学校予備科に入学。東京美術学校西洋画科に入学する。 |
| 1910年 | 東京美術学校西洋画科本科を卒業する。 |
| 1913年 | 門司から日本郵船三島丸で渡仏。年末にモディリアーニ、スーチンと知り合う。 |
| 1919年 | 初めてサロン・ドートンヌに出品。出品した6点が全部入選し、その年に会員に推挙され、パリ画壇における地位の確立に第一歩を踏み出す。 |
| 1920年 | 渡仏以来の研究の結晶である裸体を秋のサロンに出品する。 |
| 1921年 | サロン・ドートンヌの審査員に挙げられる。 |
| 1923年 | サロン・デ・チュイルリーの会員となる。 |
| 1925年 | レジオン・ドヌール五等勲章を贈られる。 |
| 1927年 | 銅版画1点、ルーブル美術館に収められる。 |
| 1929年 | 17年ぶりに帰国。東京朝日新聞社屋で個展を開催する。 |
| 1930年 | パリに帰る。ニューヨークに渡って個展を開き、またグリニッチ・ビレッジにアトリエを借りて3ヶ月間制作を行い、さらにシカゴに1ヶ月滞在する。 |
| 1931年 | ヨーロッパでは不況とナチズムの台頭で排外主義が高まり、パリでの生活基盤を放棄してマドレーヌを伴い中南米の旅に出る。 |
| 1933年 | 帰国する。 |
| 1935年 | 大阪の百貨店の食堂に壁画、銀座の喫茶店コロンバンに天井画を制作。(コロンバンの天井画はその後1975年に、迎賓館に寄贈される。) |
| 1936年 | 外務省からの依頼を受け対外日本宣伝用映画「風俗日本」を完成させる。また自著「腕一本」が出版される。 |
| 1937年 | 秋田の平野政吉の依頼により大壁画(秋田の行事)を描く。 |
| 1940年 | 第2次世界大戦の戦火迫るパリを脱出し帰国する。 |
| 1941年 | 帝国芸術院会員に推挙される。「作戦記録画」の制作と発表が本格化し、そのための戦線取材にも派遣が続く。 |
| 1942年 | 開戦1周年記念の第一回大東亜戦争美術展(12月8日の真珠湾)(シンガポール最後の日)に出品する。 |
| 1943年 | 戦争画「アッツ島玉砕」を発表する。 |
| 1945年 | 敗戦。敗戦直後からにわかに軍に加担し戦争画を描いた画家たちにも戦争責任が課せられるのではないかといううわさが広がり始める。しかし、画壇での責任追及はGHQに追及されることを恐れた日本人の側から始まる。敗戦の2ヵ月後には朝日新聞に「美術家の節操」と題して藤田を激しく批判する文章が記載される。その後も戦争責任をめぐる議論として「文化人の蛮勇、期待、粛清、自らの手で」と刺激的な記事が朝日新聞に掲載される。美術界でも戦争責任を負うべき画家を自らの手で追放しようと動き始める中、藤田にその矛先が向けられる。 |
| 1947年 | ニューヨークのケネディ画廊で近作の展覧会が開催され、好評を博する。 |
| 1949年 | 戦争責任をめぐって混迷を繰り返した画壇に「絵描きは絵だけ描いてください。仲間げんかをしないで下さい。日本画壇は早く世界水準になって下さい」と捨てぜりふを残し、君代夫人と共に日本を後にする。アメリカ入国、ニューヨークに定住。代表作の一つとなる「カフェにて」を制作。当時、現地で画家として成功していた国吉康雄とアメリカの日系人たちは「敵性外国人」として白眼視される中「戦争」を拭い去ろうと懸命な苦闘をしていた。そこに現れた戦争画の藤田は厄介な闖入者で到底受け入れることはできなかった。新天地であるはずのアメリカでも孤独感を強めていく。藤田は滞在一年にも満たずアメリカを離れることになる。 |
| 1950年 | パリに戻りモンパルナスに定住する。 |
| 1951年 | 秘蔵の労作「我が室内」「アコーデオンのある静物」等をパリの国立近代美術館に寄贈する。藤田65歳の誕生日を祝してルネ・エロン・ド・ヴィルフォスの著書に藤田がエッチングと一部には彩色をほどこした26点の挿画が入った「魅せられし河」(出版ベルナール・クライン)が出版される。今では高級ブティックが立ち並ぶフォーブール・サントノーレ通りに関する本で瀟洒な館が立ち並ぶ美しい街並を魅せられたる河のようだと表現した著者のイメージにふさわしく、藤田による風景やそこに集う人々がいきいきと表現された名作である。 |
| 1955年 | フランス国籍を取得、日本国籍を抹消する。日本芸術院会員を辞退する。 |
| 1959年 | 北フランス・ランスの大聖堂でカトリックの洗礼を受ける。洗礼名レオナール。 |
| 1960年 | パリの風俗をテーマとしたアルベール・フルニエとギイ・ドルナンのテキストに藤田の21点の多色刷り木口木版の挿画が入った、小さな職人「しがない職業と少ない稼ぎ」(出版ピエール・タルタス)が出版される。生涯、自分のことを職人だと自認していた藤田がパリの街角でひっそりと、しかしながらたくましく生きている職人たちを子供に演じさせて親愛と敬意をもって表現する。 |
| 1961年 | パリ郊外ヴィリエ・ル・バクルに農家を改造して転居する。 |
| 1963年 | ジャン・コクトーのテキストに藤田の挿画がリトグラフで21点入った「四十雀」(出版ピエール・タルタス)が出版される。フランスにおける伝統的な職業や風物、建物などがつづられたフランスにまつわる内容の作品である。 |
| 1966年 | 第2回近代日本洋画名作展に出品する。洗礼を受けたランスに礼拝堂「ノートル・ダム・ドゥ・ラ・ペ(平和の聖母)」が完成し、教会内のフレスコ画を制作する。 |
| 1968年 | 1月29日、81歳、スイス、チューリッヒにて没する。遺体はノートルダム・ド・ラ・ペ礼拝堂に埋葬される。墓所はランスのノートル・ダム・ドゥ・ラ・ペ礼拝堂である。 |