モジリアーニ
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モジリアーニの生涯
「生きては死んだ強い力の戯れが僕そのものだ」

エコール・ド・パリを代表し今でも世界中の人々に愛され続けているモジリアーニは、その穏やかで優雅な作風からは想像できない壮絶な人生を駆け抜けて僅か35歳という若さで人生の幕を閉じます。1884年にイタリアのユダヤ人家庭に生まれたモジリアーニは、1904年20歳の時に画家として
成功することを夢見てパリに向かいます。 しかし、その時すでに成功を夢見る若者の体は当時まだ不治の病であった結核に侵され常に死の影が寄り添っていました。「僕の中で生きては死んだ強い力の戯れが僕そのものだ」当初は肺結核による咳を抑えるための飲酒が、死の恐怖から逃れるための飲酒となり、やがて度数70度もあるリキュール系の酒アブサンを煽るようになり、アルコールに溺れていきます。 そのような厳しい現実の中でも芸術に立ち向かう夢と理想を見失うことはありませんでした。「私が求めているのは現実でも非現実でもなく無意識、人間が持つ本能なのだ」対象を忠実に描くのではなく様式化して描きながらも、モデルの個性や対象の特徴を的確にとらえ、見るものを引き付ける不思議な魅力があります。
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モジリアーニの値段について
~『「値段」で読み解く 魅惑のフランス近代絵画』(幻冬舎刊)より一部抜粋
モディリアーニは、オークションにおける高額落札の常連で、その生涯が何度も映画化やドラマ化されている人気の高い画家です。 しかし、モディリアーニの人気は、その悲劇的な人生によるところが多く、作品が正当に評価されているとはいえないかもしれません。さらに、生前にはあまり絵が売れなかったのに死後に作品が高値で売られるようになったことも、その悲劇性を際立たせています。モディリアーニもまた、ゴッホと同じく、その悲劇的な人生が価格の高騰につながっている画家です。ウソかホントかわかりませんが、画商の中には、病気のモディリアーニが夭折すれば価格が高くなると考えて、彼が亡くなるまで作品を売らずに所蔵していた人もいたとの話を聞いたことがあります。フランス語で「呪われた」を意味する「maudit」が、モディリアーニの愛称であるモディと発音が全く同じであるために「呪われた画家」などといわれることもありました。しかし、モディリアーニが亡くなってからもうすぐ100年になります。そろそろ彼を呪縛から解放して、作品を純粋に評価する時期ではないでしょうか-。
もっと詳しく知りたい方は・・・
『「値段」で読み解く 魅惑のフランス近代絵画』(幻冬舎刊)
全国書店、amazonで好評販売中
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モジリアーニ 略歴 MODIGLIANI
20世紀初頭に活動した画家・彫刻家。イタリア出身だが、おもにパリで制作活動を行った。エコール・ド・パリの画家の一人に数えられる。 | |
1884年 | イタリア・トスカーナ地方のリヴォルノに生まれる。ユダヤ系のイタリア人。 |
1906年 | パリへ移住。 |
1907・12年 | サロン・ドートンヌ出品 |
1908・10・11年 | アンデパンダン展に出品。 |
1910年 | 彫刻制作に専念し始める。 |
1912年 | 麻薬、飲酒により著しく健康を害す。 |
1914年 |
再び絵画の仕事に専念し、彫刻制作を放棄。画商ポール・ギョームと契約。 |
1915年 | ピカソ、ヴラマンクと頻繁に交流。 |
1916年 | 画商ズブロフスキと契約。 |
1917年 | ベルト・ヴェイユ画廊にて、生前唯一の個展を開催。 後に妻となり、裸婦像などのモデルを務めたジャンヌ・エビュテルヌと知り合う。 |
1918年 |
画商ズブロフスキの援助により、ジャンヌとともに南仏で静養。スーチン、藤田、フェルナンド・バレーも同行する。 |
1919年 |
パリに戻る。ジャンヌと正式に結婚。 |
1920年 | 36歳の若さにして肺結核によりその生涯を閉じる。 |