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独学で絵を学んだ、最も野生的な画家

 

野獣派(フォーヴィスト)の画家の中で、現在、最も作品の評価額が高いのは誰でしょう?
それはもちろん、グループのリーダーと目されたアンリ・マチスです。
では、2番目に価格と評価が高いのは誰でしょうか?
その答えは、おそらくモーリス・ド・ヴラマンクになります。
ヴラマンクの1905年の作品「郊外の風景」は、2011年のクリスティーズ・オークションにて約2000万ドルで落札されました。この価格はルオーやマルケの最高額作品の10倍にもあたります。
このヴラマンクは、経歴も異色です。
音楽家の両親のもとに生まれ、幼少より音楽の手ほどきを受けたヴラマンクは、長じてヴァイオリンやピアノの教師になりました。しかしそれだけでは暮らせないため、競輪や競技ボートの選手として稼ぎ、さらにほぼ独学で絵を描き続け、画家として大成したのです。その後は小説を書いて出版するなど、文筆家としても活躍しました。いったい、どんな人だったのでしょうか?

 

 

ヴラマンクは日本でも人気のある画家です。
没後30年(1988年)と没後50年(2008年)には記念展覧会が開かれましたし、今も全国を巡回する「ヴラマンク展」が開催されています(現在は北九州市立美術館で2月25日まで)。
なぜヴラマンクは人気があるのかといえば、1つにはパリに留学した日本人画家との親交が深いからでしょう。例えば1924年頃、里見勝蔵や佐伯祐三などの日本人画家がヴラマンクのもとを訪ねて指導を受けています。里見はよほど感銘を受けたのか、後に日本で『ブラマンク』なる書籍まで著しています。また「学校で教えるような絵だ」と批判された佐伯は、以後に作風を変えるほどの影響を受けました。

 


佐伯祐三「煉瓦焼場」(1928)

 

ヴラマンクが生まれたのは1876年のパリです。父親はヴァイオリン教師で母親はピアノ教師の芸術家一家で、ヴラマンク自身も音楽の勉強をしていましたが、彼の関心は音楽にとどまりませんでした。
15歳からは自転車に熱中し、いくつかの競技レースに出場して優勝しています。同時に詩や絵を描き始め、画家から個人レッスンでデッサンも習っているようです。
18歳で、同い年の女性と結婚したヴラマンクは、2年の間に二人の子宝に恵まれます。家族を養うためヴァイオリンやピアノを教えて生計を立てますが、若いためになかなか生徒も集まらず、競輪や競技ボートの選手として賞金を稼ぐようになります。このあたり、並の画家とは異なる肉体派ヴラマンクの面目躍如です。
ところが1896年、20歳でチフスに罹ったことから、選手生命は終わりを告げました。その後、兵役についたヴラマンクは士官用の図書館で書物を読み漁り、友人となったセルナダと共に小説を書きます。どうやらヴラマンクは独学で才能を伸ばすことに長けていたようです。
1900年、24歳のヴラマンクは、兵役の休暇の途中、たまたま乗った列車でアンドレ・ドランと知り合います。当時20歳のドランは工学を学びながら画塾に通う学生で、そこでマチスと友人になっていました。
ヴラマンクとドランは意気投合し、この年の暮れには一緒に絵を制作しようと共同アトリエを借ります。このアトリエをマチスが訪問してヴラマンクと知り合います。

 


ドラン「チャリング・クロス橋」(1906)

 

1901年には、以前にセルナダと二人で書いた小説が、ドランの挿絵入りで出版されることになりました。小説は好評で、1903年には2作目も出版されます。
1904年、24歳になったドランは本格的に絵画を学ぶために、マチスの学んだアカデミー・ジュリアンに入学します。学校嫌いのヴラマンクは「二人の探究」が「通俗的」になると落胆しましたが、ドランの決定を受け入れました。
1905年、マチスが二人のもとを訪れて、アンデパンダン展とサロン・ドートンヌへの出品を要請します。サロン・ドートンヌはマチスが中心となって2年前に設立したばかりの展覧会でした。
この年のサロン・ドートンヌで、同じ部屋に展示されたマチスとドランとヴラマンクの作品は、批評家ヴォークセルによって「野獣」と揶揄され、野獣主義(フォーヴィスム)の名前が生まれます。しかし、それは主義主張による運動ではなく、時代の空気を反映した偶然のようなものでした。
1906年、この新しい空気に何かを感じた画商アンブロワーズ・ヴォラールは、ヴラマンクとドランのアトリエにある作品をすべて購入していきます。ヴォラールは今後に制作予定の作品も買い取る約束をしたため、ヴラマンクは絵画に集中することができました。時にヴラマンクは30歳、ドランはいまだ26歳の若さでした。
1907年には、3作目の小説が出版され、ヴォラール画廊で初個展が開催されました。やがてフォーヴィスムの流行が廃れてキュビスムの波がやってきますが、ヴラマンクはもはや流行に左右される作家ではありませんでした。彼は頭でっかちなキュビスムを非難し、自分の感性の赴くままに絵を描き続けます。

 


ヴラマンク「村の道」

 

教育や伝統に背を向けたヴラマンクでしたが、ゴッホにだけは影響を受けています。
1901年、25歳のヴラマンクは、ゴッホの死後初めての「ファン・ゴッホ展」を観にいき、「父親よりもゴッホが好き」と述べるほどの感銘を受けました。そして絵を購入しようとしたのですが、貧しかったために果たせませんでした。
それから19年後の1920年、44歳のヴラマンクは、ゴッホ最期の地オーヴェル=シュル=オワーズに家を買います。そして2度目の結婚をしてさらに2人の子どもを儲けます。里見勝蔵と佐伯祐三に出会ったのもこの地でした。
以降のヴラマンクは、自らの心の欲するままに絵を描き、小説を書き、いわゆる芸術家のイメージそのままに活動を続けます。傍若無人なまでに自由に生きたヴラマンクは、野獣派と呼ばれた画家の中で、最も野獣の名に相応しいと言えるでしょう。

 

 

翠波画廊ではヴラマンクの作品を取り扱っております。

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