【再掲】草間彌生のアイコン~水玉(ドット)と網(ネット)と南瓜(かぼちゃ)~

草間彌生の象徴はいかに誕生したのか

草間彌生《帽子Ⅱ》
2000年 シルクスクリーン、ラメ 60部
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日本を代表する現代アーティスト、草間彌生
圧倒的な意欲は晩年まで衰えることなく、長い年月をかけて唯一無二の芸術を世界中に轟かせました。 水玉、網目、かぼちゃをはじめとする草間彌生の代表的モチーフは世界的ブランドとのコラボレーションを実現するなど高い人気を誇ります。本コラムでは、幼少期に描いた水玉への思いから、アメリカで評価されるまでの経緯を辿ります。

草間彌生はなぜ水玉を描くのか?

草間彌生《かぼちゃ(黄Y)》
1992年 シルクスクリーン 120部
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草間彌生が生まれたのは1929年。二度の世界大戦の戦間期で、ニューヨークでは株式市場の大暴落が起きるなど世界恐慌が始まった激動の年でした。美術史的にいえば、パリにおける「狂騒の20年代」が終わり、藤田嗣治がパリを離れようとしていた頃です。

 

長野県松本市の裕福な実業家の家に生まれた草間彌生でしたが、両親のしつけは厳しく家庭は常に緊張状態で、幼い頃から幻覚や幻聴に悩まされます。精神の安定を得るために草間が描いたのが、ドットやネットなどの反復模様でした。
草間彌生は1957年に28歳で渡米するとき、もう日本には戻らないという決意を込めて、それまでの絵を焼却処分したそうです。そのため若い頃の絵はほとんど残っていないのですが、子どもの頃から水玉模様を繰り返し描いていました。

「無限の網」はいつ生まれたのか

草間彌生《無限の網》1953-1984年

アメリカで最初に認められた草間彌生の絵は、「Infinity Nets(無限の網)」シリーズでした。横幅が5メートル近くになる大きなキャンバスに、何度も繰り返される図形をびっしりと描き込んだ作品は、その模様が網の目のように見えることから、のちに「ネット・ペインティング」と呼ばれるようになりました。

 

ドット(水玉)を繰り返し描く手法と、ネット(網)を繰り返し描く手法は、似て非なるものですが、草間彌生はどちらも好んでよく使います。
草間彌生の強迫的な反復は、同時代のポップアートやミニマルアートにも影響を与えました。アンディ・ウォーホルやフランク・ステラ、ドナルド・ジャッドなどの反復技法は草間彌生にインスパイアされたものだと考えることができます。
それほど当時のニューヨークにおける草間彌生のインパクトは大きかったのです。

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