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フォーヴィスムの仲間と“色彩の魔術師”
~アンリ・マティスに倣いつつ独自の道を開拓したラウル・デュフィ

 

フランスには“色彩の魔術師”と呼ばれた画家が三人います。
一人目は「民衆を導く自由の女神」を描いたドラクロワ。
二人目は、原色を多用したフォーヴィスムの中心人物だったマティス。
今回は、マティスに影響を受けつつも、独自の道を歩んだ三人目の魔術師について見てみましょう。

 


三人目の“色彩の魔術師”の名前はラウル・デュフィ
一般的にはフォーヴィスト(野獣派)の一人と見られていますが、それだけの画家ではありません。
そもそもフォーヴィスムは、キュビスムのように明確な理論のある芸術運動ではなく、一人ひとりの個性が強く出ていました。その特徴は、鮮やかな原色と、荒々しい筆触、そして保守的なアカデミー絵画に対する反発です。

 

デュフィ「ニース、古いカジノ」 1928年 油彩

 

フォーヴィスムについて調べていくと、その担い手が大きく3種類に分けられることに気づきます。
一つは、国立美術学校のモローのクラスで学んだ画家たちです。ここに属するのは、モローの愛弟子だったルオー、遅れて入学したマティス、マルケ、マンギャン、カモワンたちです。カモワンが入学したのは、正確にはモローの死後にクラスを引きついだコルモンの代ですが、マティスやマルケはまだ残っていて仲間になりました。
もう一つは、モネの育った港町ル・アーヴルで少年時代を過ごした画家たちです。ここに属するのが、デュフィ、フリエス、ブラックの3人です。彼らはル・アーヴルで絵を学ぶ中で知り合い、後にそれぞれパリに出てきて画家になりました。少年時代の友情は、終生続きます。といっても、同級生であったわけではありません。1877年生まれのデュフィは、フリエスより2歳、ブラックより5歳年長でした。
最後の一つは、その他の画家たちです。音楽教師として生計を立てていたヴラマンク、工学を学んでいたドラン、そしてオランダ出身で挿絵画家をしていたヴァン・ドンゲンがここに属します。ちなみにヴラマンクとドランは共同アトリエを持つほどの親友同士でした。
この3つのグループを結びつけたのがマティスです。青年になってから絵を描き始めたマティスは、実家が裕福だったこともあってさまざまな絵画教室に通い、そこかしこで友人を作ったのです。
マティスは1903年、33歳のときに仲間を集って、自分たちのための展覧会サロン・ドートンヌを起こしました。

設立メンバーは、マティス、ルオー、マルケ、カモワン、フリエスといった友人画家、それからヴュイヤールやボナールといった先輩画家が含まれています。立ち上げ時にすでにル・アーヴルのグループのフリエスが参加していますが、このときデュフィ自身は、マティスとの面識はありませんでした。
デュフィ自身がマティスの絵に出会うのは1905年、28歳の時です。サロン・ドートンヌよりも前に設立された、やはりインディーズの展覧会サロン・ザンデパンダン(アンデパンダン展)に初出品したデュフィは、マティスの出品作「豪奢、静寂、逸楽」を見て感動し、次のように記しています。
「この絵を目にしたとき、私は絵画の新しい“存在理由”を悟った。この創造的想像力の奇跡が色彩と線描で演じられたのを見たとき、印象派の現実主義はその魅力を失った」

 

マティス「豪奢、静寂、逸楽」 1904年 油彩

 

同じく1905年の第3回のサロン・ドートンヌで、マティスとその友人たちは、「豪奢、静寂、逸楽」をさらに進化させたような、原色をふんだんに使った野性的な絵をそれぞれ発表しました。
同じ部屋に集められたそれらの絵を見た批評家ヴォークセルが「野獣(フォーヴ)」と形容したことから、フォーヴィスムの名前が生まれました。
デュフィはこのサロン・ドートンヌへの出品には間に合いませんでしたが、フォーヴィスムにおおいに影響を受けて、マティスの仲間になりました。
翌1906年には、デュフィはマルケとともにル・アーヴルに旅行して絵を描き、ブラックとともにレスタックに滞在して絵を描くなど、フォーヴィストとの親交を深めています。

しかし、デュフィは単にフォーヴィスムの真似をしたわけではありません。
同じル・アーヴル出身のブラックとの親交も深かったデュフィは、ブラックの心酔していたセザンヌやキュビスムにも影響を受けつつ、独自の絵画を目指します。
1909年には、やはりル・アーヴル出身のフリエスとともに、ドイツへ制作旅行に出かけています。ここではブリュッケなどドイツ表現主義の影響を受けました。
しかし、他者の影響を受けているだけでは、画家として自立できません。
デュフィの模索の時期は長く続き、画家としてはなかなか食べていけないので、1912年、35歳の時には、絹織物を扱うビアンシニ=フェリエ社のスタッフとして装飾芸術(デザイン)に手を染めるようになります。デュフィの手掛けた洋服生地のデザインは、デザイナーのポール・ポワレに絶賛されるなど好評を得ました。
このような商業美術の経験を通じて、デュフィの絵は明るく華やかな色彩を獲得していきます。1926年、49歳でビアンシニ=フェリエ社との契約を解消する頃には、画家デュフィの名は一般に知れ渡っていました。
“色彩の魔術師”デュフィがこだわったのは青色です。赤色や黄色は光の加減で別の色に見えることがありますが、青は明るくても暗くてもさまざまなニュアンスを持つ青になると述べているデュフィは、海や空の絵を多く残しました。

 

デュフィ「カウズのレガッタ」 1934年 油彩

 

デュフィは1953年、75歳で亡くなりましたが、死後もその絵の人気は高まり続けました。
デュフィ作品のオークション・レコードは、サザビーズ・ロンドンにて2007年に約708万ドルで落札された「玉ねぎ市」(1907年)になります。
この価格は、同時代のフォーヴィスムの画家と比較すると、マティスやヴラマンクに次ぐ高評価となりました。

 

デュフィ「玉ねぎ市」 1907年 油彩

 

参考文献:「新潮美術文庫41デュフィ」(新潮社)

 

翠波画廊ではデュフィの作品を多数取り扱っております。

ラウル・デュフィ作品一覧はこちら >>

 

 

 


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