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マチスの親友の画家って誰?

 

野獣(フォーヴ)と揶揄されるほど原色を駆使して色鮮やかな絵画を描いたマチス。
20世紀を代表するフランス人画家として有名なマチスは、気難しい人の多い芸術家の中では珍しく社交性が高く、ルノワールやピカソとの交流の記録も残っています。
ピカソの恋人だったフランソワーズ・ジローの書籍『マティスとピカソ―芸術家の友情』(河出書房新社)にもその一端が描かれています。
しかし、マチスが最も深く友情を結んだ画家は、ルノワールでもピカソでもなく、頑固で物静かな一人の宗教画家でした。

 

その名はジョルジュ・ルオー。
2017年に邦訳が刊行された『マティスとルオー  友情の手紙』(みすず書房)は、この二人の画家の50年にわたる交流を、残された手紙から読み取っていくものです。
1869年生まれのアンリ・マチスと、1871年生まれのジョルジュ・ルオーが知り合ったのは、パリの国立美術学校のモローの教室でした。印象派のモネとルノワールのように、マチスとルオーも画学生の頃からお互いに切磋琢磨するライバル同士でした。
パリの貧困家庭に生まれ、14歳からステンドグラス職人として徒弟奉公をしていたルオーが、画家になるために国立美術学校に入学したのは1890年、19歳の時です。
一方、ベルギーとの国境沿いのノール県で豊かな商人の息子として生まれたマチスが、画家を目指してパリに来たのは1891年、21歳の時です。マチスは国立美術学校の入試には落ちてしまいますが、モローに認められて聴講生としての参加を許されます。
こうしてマチスとルオーは、学生の個性を尊重するモローの教室で出会いました。マチスとルオーがフランスを代表する画家へと育ったのには、モローの教育姿勢の影響も大きかったでしょう。

 

ルオー「大太鼓の前の曲馬団の娘」 1929年 油彩

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1895年、マチスはようやく国立美術学校に合格して正式入学しますが、同年、ルオーはモローのすすめで学校を退学します。優等生だったルオーには、もはや学校で学べることがなかったからです。
マチスも1899年には国立美術学校を退学し、二人はともにフリーランスの画家として活動を続けます。しかし経済的には自立には程遠く、苦難の時期が続きました。モローに可愛がられたルオーは、1903年にできたモロー美術館の初代館長の職を得ましたが、給料は安く生活は楽ではありませんでした。

マチス 「緑の筋のあるマティス夫人の肖像」 1905年 油彩

 

そんな二人の名を高めたのが、サロン・ドートンヌ(秋の展覧会)です。
1903年に誕生したサロン・ドートンヌは、マチスやルオーといった若い芸術家の創立した新しい展覧会です。自分達のための展覧会がないと感じたマチスやルオーらによって作られたサロン・ドートンヌは、いわば20世紀の印象派展であり、アンデパンダン展です。
そして1905年の第三回サロン・ドートンヌで、マティスとその仲間は、その絵の強烈な色彩から野獣派(フォーヴィスト)と名づけられるようになります。このとき、批評家ヴォークセルによって「野獣の檻」と名づけられた部屋には、マチス、ヴラマンク、マルケなどが飾られていました。ルオーの絵は別の部屋での展示でしたが、マチスとのつながりから野獣派と見なされています。実際、ステンドグラス職人だった過去を想起させる太くて黒い輪郭線や、その内側に塗られた原色の荒々しいタッチは、野獣派の特徴を備えています。

 

ルオー 「十字架上のキリスト」1936年 銅版画

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しかし、ルオーの題材は一風変わっていました。マチスやヴラマンクが風景画を好んで描いたのに対し、敬虔なカソリックであったルオーが描いたのは、キリストやジャンヌ・ダルクなどの聖人、そして芸人や罪人や娼婦など、虐げられた貧しい人々でした。
ちなみに現在ルオーの絵のオークション・レコードとなっているのは、1938年に描かれた「サーカスの少女」です。この絵は1990年のクリスティーズにて160万ドルで落札されました。ユトリロやローランサンよりも高い評価です。

そんなルオーの才能を評価し、理解者となったのは、画商のアンブロワーズ・ヴォラールでした。ヴォラールといえば、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌ、ピカソなど、当時の前衛画家を積極的に支援した伝説の画商です。
1913年、ヴォラールはルオーのアトリエにあったすべての作品を購入し、1917年にはルオーと専属契約を結び、自宅のアトリエを提供します。こうして46歳のルオーは、生活費を気にせずに自由に制作に打ち込む環境を手に入れました。

 

ルノワール 「アンブロワーズ・ヴォラールの肖像」 1908年 油彩

 

ところが、ルオーの作品をすべて買い取るとしていたヴォラールとの契約が、後にルオーを悩ませることになります。というのも、1939年にヴォラールが交通事故で急死してしまったからです。
ヴォラールのアトリエで制作していたルオーは、作品を全てヴォラールの管理下においていました。ヴォラールの死後、その作品は遺族のものになり、自由に売却される恐れが出てきたのです。
こだわりの強い画家だったルオーは、自分が納得いくまで何年間も筆を加える癖がありました。アトリエの作品は、ヴォラールの遺族にとっては高値で売れる絵でしたが、ルオーにとっては納得がいかない制作途中の作品群でした。
絵を取り戻そうとするルオーと、所有権を譲らないヴォラールの遺族との裁判は1947年まで続き、最終的にルオーが勝ちました。そしてルオーは、取り戻した約800点のうち315点を焼却しました。ルオーにとってそれらは、到底売っていいようなものではなかったのです。

1954年、マチスが84歳で亡くなります。死の直前までルオーとマチスの文通は続きました。その4年後の1958年、ルオーも86歳で死を迎えます。宗教心の篤かったルオーは、国葬で盛大に弔われました。
現在、日本では、パナソニック汐留ミュージアム・ルオーギャラリーが、ルオーの絵を数多く所蔵しています。

 

翠波画廊では、マチスやルオーの作品を数多く取り揃えています。

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