fbpx
画廊会員 募集中!! お問い合わせ

【5分でわかる】なぜピカソは≪ゲルニカ≫を描いたか?
~スペイン内戦とゲルニカ爆撃

パブロ・ピカソの一般的なイメージは、人を驚かせる前衛画家であり、若い愛人を何人も持った艶福家でしょう。
その一方で、ピカソは戦争の悲惨さを訴える政治的な壁画≪ゲルニカ≫の作者としても有名です。
親しい友人であった画商のカーンワイラーが、ピカソを「政治意識の薄さでは人後におちない」と形容しているように、それまでのピカソの人生には政治的な行動はほとんど見られませんでした。
ピカソだけでなく、自分自身の美を追求するアーティストの多くは、泥にまみれながら他人の幸福を追求する政治には、あまり興味を持たないものです。
なぜ、ピカソは≪ゲルニカ≫を描いたのでしょうか?

≪ゲルニカ≫はスペイン政府からの依頼だった

ピカソが≪ゲルニカ≫の制作に着手したのは1937年1月のことです。
同年5月からパリで開催される万博(万国博覧会)のスペイン館に飾るために、共和国政府からの依頼があったからです。
ちなみに、当時スペイン共和国の政府軍は、元陸軍総長のフランシス・フランコの指揮する反乱軍との内戦を戦っていました。
スペインを二分したこの内戦で、ピカソは政府軍を支持し≪フランコの夢と嘘≫と題した風刺の詩とそれに添える銅版画を制作して販売し、売上を政府軍に寄付していました。共和国政府からの壁画制作の依頼は、ピカソへの恩返しでもあったのでしょう。
当初、ピカソが壁画の主題に考えていたのは、政治とは無関係のものでした。しかし同年4月に、ドイツ空軍の助力を得たフランコの反乱軍が、バスク地方の小さな街ゲルニカを無差別爆撃して、一般市民を多数殺害したことがニュースになると、一転してこの事件をテーマに絵を描くことにしました。
当時、戦争は軍と軍との間で行うものでした。戦略拠点があるとはいえ、一般市民への空爆は史上初の惨事でした。

 

ピカソ≪ゲルニカ≫1937
Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía

5分で身につくアートの教養、定期配信中!
登録は無料!下記よりご登録ください


ゲルニカ爆撃とは何だったのか?

当時の政治情勢は複雑でした。
第一次世界大戦中にロシアで共産主義革命が起こり、皇帝一家が殺され、1922年にソビエト連邦(ソ連)が成立しました。
私有財産を否定し、人民の平等を理想とする共産主義は世界中の急進的な若者の間で流行となりましたが、各国政府は体制を転覆する共産主義革命に恐怖を覚えました。
成立したばかりのソ連は各国から仮想敵国と見なされて、ゲルニカ爆撃の前年の1936年には日独伊防共協定(日本・ドイツ・イタリアで共産主義を防ぐ共同防衛宣言)が調印されています。
一方、この日本やドイツやイタリアも、イギリスやフランスやアメリカからは異端の目で見られていました。 イギリスやフランスやアメリカは、議会制民主主義をいちはやく達成した先進国でしたが、日本やドイツやイタリアは経済的に遅れを取っていて、そのために中央集権的な政府による産業推進策を取っていたからです。 ドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニ、そして日本の昭和天皇は、国民を一つに統合する強力なリーダーと見なされていました。資本主義による自由を推進していたイギリスやフランスやアメリカは、ドイツやイタリアや日本を、急速に力をつける全体主義国家として警戒していました。
共産主義のソ連も、民主主義国家のイギリスやフランスよりも、専制国家のドイツやイタリアをより敵視していました。
スペインでは、民主主義的な共和国政府に対し、軍人のフランコが専制国家を目指して内乱を仕掛けていました。そこでソ連は共和国政府軍を支援するために軍隊(人民戦線)を送りこみました。逆にドイツやイタリアは、フランコの反乱軍を支援しました。スペイン内戦は、共産主義・民主主義と全体主義との戦いだったのです。
そして1937年、中央集権政府に国民の力を結集しようとする全体主義国家のドイツは、自治や独立の気風が強いバスク地方とそこに拠る人民戦線を叩くために、空軍を使ってゲルニカ爆撃を行いました。
これを格好のテーマとしたのがパリにいたピカソでした。

 

ゲルニカには何が描かれているのか?

絵画は見開きのカンヴァスに左から次のようなモチーフを描いています。
牡牛、倒れた我が子を両手に抱いて絶叫する母親、、倒れた兵士とその右手にある折れた剣と花、絶叫する馬、太陽のような目のような明かり、灯火を持つ女、左に向かって走ってくる女、両腕を上げて落下する女。
ゲルニカ爆撃を受けた町の様子を描いているようにも見えますが、その模様は混沌としています。
色彩は黒や灰色を基調とし、 戦争の暗さを表現しています。
一説では、牡牛、馬、灯火、剣、母子、太陽などのモチーフには、それぞれ象徴的な意味があります。
たとえば、牡牛は暴力や抑圧の象徴であり、馬は苦しみや悲しみの象徴です。
灯火は真理や復活の象徴であり、剣は戦争や死の象徴です。
母子は人間の愛や生命の象徴であり、太陽は希望や自由の象徴です。
これらのモチーフは、ピカソの個人的な経験や思想に基づいて選ばれたものですが、同時に普遍的なメッセージを伝えるものでもあります。
ピカソはキュビスムの手法を用いながら、戦争の惨禍をリアルに表現しました。光と闇の対比、歪められた形態、そして象徴的なモチーフが、見る者に強烈なメッセージを訴えかけます。

この絵は、パリ万博スペイン館に飾るためにスペイン政府から依頼された作品です。
ピカソは約1か月で描き上げましたが、多数のスケッチを描いて試行錯誤しています。
また、ピカソはモチーフの意味や解釈を明言せず、見たいように見ればいいと言っています。
おそらく自分の作品を「答え」ではなく「問い」として提示したかったのでしょう。
ピカソは自分の作品を政治的なプロパガンダとしてではなく、芸術的な表現として捉えていました。自分の作品を特定の時代や場所に限定されないものと考えていたのです。

youtubeより:Guernica

 

なかなかスペインに帰れなかった≪ゲルニカ≫

高さ3.5m、幅7.8mの巨大な絵画≪ゲルニカ≫は、パリ万博のスペイン館の目玉となりました。
同じくスペインの画家であるミロも「スペインを救え!」と書いた労働者のポスターをスペイン館のために制作して、共和国政府への支援を訴えましたが、最も話題になったのは≪ゲルニカ≫でした。
スペイン政府はピカソに絵の代金として15万フランを支払い、万博終了後、絵はスペインに運ばれるはずでした。しかし、内戦が続くスペインで、敗色濃厚な共和国政府に絵を無事に保管する計画もなく、絵はそのままフランスに留め置かれました。
1939年、フランコが内戦に勝利すると、ピカソは≪ゲルニカ≫をニューヨーク近代美術館に貸し出しました。ちょうどそのときピカソの回顧展が開催されることになったからです。
以降、30年以上にわたって、≪ゲルニカ≫はニューヨーク近代美術館が「一時的に保管」することになったのです。
ピカソは≪ゲルニカ≫の所有権がスペインにあることを常に表明していましたが、1971年にピカソが亡くなるまでフランコがスペインの国家元首として君臨していたため、生前の≪ゲルニカ≫の返還は叶いませんでした。
ピカソが故国スペインに帰らず、終生をフランスで過ごしたのも、ゲルニカ爆撃を行ったフランコ政権が続いていたためだと言われています。
1975年にフランコが死去した後、フランコの意志に基づいてスペインは王制に復帰し、新国王フアン・カルロスが民主化を推進したことで、ようやく≪ゲルニカ≫はスペインに帰国することになりました。
≪ゲルニカ≫の受入れにはスペイン国内の多くの美術館が手を上げました。ゲルニカの傍にある県都ビルバオ、ピカソの生誕地マラガなどを抑えて、首都マドリードのプラド美術館別館に収められることになったのは、セキュリティ上の理由が大きかったそうです。
現在≪ゲルニカ≫は、首都マドリードのソフィア王妃芸術センターに飾られています。展示の開始以来このかた写真撮影が禁止されていましたが、2023年からは誰でも撮影が可能になりました。

 

≪ゲルニカ≫の普遍性や影響力

《ゲルニカ》は、モノクロやキュビズム的なデフォルメにより、人々に受け入れられやすい絵柄になっています。
実際に、《ゲルニカ》は、第二次世界大戦やベトナム戦争などで、反戦絵画のシンボルとされました。
また、国連本部には《ゲルニカ》のレプリカ(タピスリ)が展示されています。このことは《ゲルニカ》が世界平和の象徴として認められたことを示します。
ところが、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件、いわゆる9.11テロに関連して、イラクの核保有の証拠を見つけたと、アメリカの政府高官がイラクへの軍事侵攻を国連安全保障理事会で主張したとき、《ゲルニカ》の複製タピスリはカーテンによって覆われていたそうです。
平和を希求する《ゲルニカ》が映ると、軍事侵攻の正当性が危うく見えてしまうのを避けるためだったと言われています。
ちなみにこのタピスリは世界に3点だけ存在していて、そのうちの1点は日本の群馬県立近代美術館の所蔵となっています。

 

群馬県立近代美術館からタピスリを借りた群馬県立舘林美術館のピカソ展チラシ


また、東京駅のそばにある商業施設、丸の内オアゾには、セラミック製の原寸大レプリカの《ゲルニカ》があります。こちらは公共の休憩スペースに設置されているのでいつでも誰でも鑑賞することができます。向かいのスターバックス・カフェからもよく見えます。このレプリカは、セラミック製レプリカの名画のみを展示する「大塚国際美術館」で使われているのと同じ技術で作られています。写真をセラミックに焼き付けているので再現度が高いです。


参考文献
ラッセル・マーティン『ピカソの戦争 ≪ゲルニカ≫の真実』白水社
宮下誠『ゲルニカ ピカソが描いた不安と予感』光文社新書

 

 

ピカソ作品一覧はこちら >>

 

 

 


登録は無料!
メールマガジンにぜひご登録ください ↓↓

※半角英数でご記入ください。

プライバシーポリシーはこちら

 

【配信コンテンツ】

 

1. 役立つアートコラム(月3~4回配信)

 読むだけで最新のアートシーンや絵画の知識が身につくコラム。アート初心者からコレクターの方まで必読です。

 

2. イベント情報

 画廊でのワークショップやセミナーのご案内をいち早くお知らせ!

 

3. 展示会のご案内

 翠波画廊で開催する展覧会や、全国百貨店での作家来日展情報などをお知らせいたします。

アートコラム一覧

私たちにできること

1

絵画購入のご相談

些細なこともお気軽にご相談ください。
30日以内の返品保証など
安心のサービスをご用意

2

お部屋やご予算に合わせた
絵画のご提案

お客様のご要望をお伺いし、
1,500点以上の豊富な作品から
最適な一枚をご提案いたします。

3

絵画を使った節税対策

経費で絵をご購入の方へ、
作品のご提案から購入の流れまで
ご案内いたします。

絵画を買って節税?