絵が家庭に飾られるようになったフェルメールの時代
~西岡文彦書き下ろしコラム~

市民コレクターの先進国オランダ

フェルメール『真珠の耳飾りの少女』
1665年頃 部分
オランダ、マウリッツハイス美術館

 

この夏、大阪で開かれたフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』の展覧会は、約1ヶ月の会期に30万人を超える来場者を迎えたといいます。
フェルメールの根強い人気を物語る数字ですが、じつは絵画が一般家庭に飾られるようになったのは、このフェルメールの活躍した17世紀オランダでのことでした。
これに先立つルネサンス時代までの絵画は、教会のような宗教施設あるいは王侯貴族の宮殿や邸宅を飾るために制作されるのが普通だったからです。
ルネサンス名画に、静物画や風景画といった一般家庭に飾れるような絵が見当たらないのは、そのためです。

 

引用元:マウリッツハイス美術館公式Facebookより
「Welcome home! 💙💛」

 

こうした教会や王侯貴族が注文する宗教絵画や歴史画や肖像画に替わって、日々の暮らしのかたわらにあって、人々の生活空間を美で彩る絵画が描かれるようになったのが、フェルメールの時代のオランダでのことだったのです。
近代的なミュージアムは、フランス革命政府が旧王室のコレクションを市民に公開したルーヴル美術館をルーツとしていますが、オランダではこれに二世紀ほど先駆けるかたちで美術の市民コレクターが誕生しています。
彼らのコレクションを描いた絵画も残されており、ギャラリーやミュージアムを思わせるその画面は、オランダ市民の先駆的ともいうべき美術品への愛情を物語っています。

 

 

当時フランスやイギリスからオランダを訪れた旅行客の日記には、一般家庭に何点もの絵画が飾られていることが驚きと共に記録されています。
後にフランス革命の指導的立場に立つフランスの啓蒙思想家が、パリ画壇の模範としたのもそうしたオランダの市民絵画でした。
そういう意味では、フェルメールに代表されるオランダの市民絵画は、市民革命で誕生したルーヴル美術館の精神的なルーツでもあったことになります。
オランダにこうした市民美術が誕生した背景には、大航海時代の世界貿易による経済発展に加えて、十六世紀初頭の宗教改革による意識革命がありました。
聖書の精神に戻ることを良しとしたプロテスタント国では、偶像崇拝を禁じる聖書の教えに従って、宗教美術の制作が自粛されるようになったからです。

 

西岡文彦『風の部屋』アクリル 10号
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こうして従来の教会絵画や王室絵画の中軸を成していた聖書や神話や歴史を描く作品に替わって人気を集めるようになったのが、人々の暮らしを描いた絵画だったのです。
暮らしを彩る品々を描く静物画や、人々が暮らす風土を描く風景画が人気を呼ぶようになったのもそのためでした。
聖書や神話に登場する美女や女神でもなければ王女や貴婦人でもない一般女性が、新時代の美神として絵画に描かれるようになったのも、そのためだったのです。
フェルメールの描いた『真珠の耳飾りの少女』は、まさにそうした新時代の美神を代表する名画といえるでしょう。

 

美術鑑賞は自画像を描くのにも似た創造的な営み

モディリアーニ『青い服の少女』
2006年 リトグラフ 200部
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私が、絵画に描かれた女性に興味を持ち始めたのは、中学校の図書館や書店で美術の本を見始めた頃のことで、なかでも印象的だったのが、モディリアーニと竹久夢二の描いた女性像でした。
『モナ・リザ』のような古典名画の女性像にはあまり惹かれませんでしたが、なぜかボッティチェルリの作品は新鮮に映ったように思います。
今にして思えば、この三人の画家は、首をかしげた独特のポーズと個性的なタッチの描線において、きわめて共通した雰囲気を持っています。
後から知ったことですが、夢二はモディリアーニの影響を受けており、そのモディリアーニはボッティチェルリの影響を受けていますから、中学生だった私の女性像に関する趣味もそれなりに一貫していたことになります。

 

西岡文彦『ふろーら』
2026年 アクリル 4号
「――中学生だった頃の私が見て、
身近に感じてくれるといいのですが。」
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私の師の師である柳宗悦は、美は見る人の見方の反映だと説いていますが、人が好きだと思うものは、どこかで似通っているのでしょう。
私が絵画に見出した美神も、もの思いにふけるようなポーズと個性的な線描において、きわめて似通っているように思います。
柳は、鑑賞は創造だとも説いていますが、確かに無数の美術作品の中から自分の好きな作品を選び出して見るという、そうした自身の見方そのものが、見ることによって自らの自画像を描き出すような、そんな創造的な行為であるのかも知れません。
そういう意味では、中学生の私が、もの思いにふけるようなポーズと個性的なタッチに惹かれたのも、それなりの自画像を思い描いてのことであったのかも知れません。
人には言えないような悩みを抱え、自分らしさを求めて苦しんでいた中学生にとって、もの思いにふける個性的な人物像ほど身近に感じられるものはなかったのでしょう。
はたして自分が、そんな中学生だった私が身近に感じてくれるような人物像を描けるかどうかはわかりませんが、あの頃の感動を励みに精進を重ねていれば、あるいはいつかは描ける日が来るかも知れないとも思えます。
見果てぬ夢への道は、日々の精進しかないということなのでしょう。

 

西岡文彦

 

 

西岡文彦

1952年山口県生まれ。多摩美術大学名誉教授、版画家。
民芸運動の提唱者・柳宗悦の弟子である森義利に師事し、伝統技法「合羽刷」を継承。
版画家として国内外で活動する一方、美術書の執筆やテレビ番組の監修・出演など幅広く活躍。
『アートがわかる!』(岩波ジュニア新書)『柳宗悦の視線革命』(東京大学出版会)など著書も多数。

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