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ユトリロは人気が出てもあまり嬉しくなかった? 
~「白の時代」の生まれた理由

ユトリロの母シュザンヌ・ヴァラドンはシングルマザーとして忙しい毎日をおくっていました。
ユトリロの世話は祖母のマドレーヌに任されましたが、ユトリロの寂しさはまぎれることはなかったのです。
やがてアルコール依存症になったユトリロは、その治療の一環として絵を描くようになります。
これが画家ユトリロの生まれた背景です。
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ユトリロの「モンマニーの時代」

モーリス・ユトリロ《モンマニーの風景》1906年頃

1896年、31歳のシュザンヌ・ヴァラドンは息子のモーリス・ユトリロを連れて初めての結婚をします。
魔性の女であったシュザンヌが結婚相手に選んだのは、交流の多かった芸術家ではなく、資産家のポール・ムージスでした。
ムージスというパトロンを得たシュザンヌは、以降の13年間、落ち着いて絵を描くことができるようになりました。
シュザンヌが結婚した当時、息子のユトリロは9歳でしたが、子育てよりも絵を描くことを好んだ母親には相変わらずろくに顧みられませんでした。
ムージスという資産家の義父を得たおかげでユトリロの生活は豊かになりましたが、孤独は変わりませんでした。
ユトリロは孤独を癒すためにワインが手放せず、やがて学業で落ちこぼれるようになります。
学校を出て社会で働くようになっても、職場に馴染めずに転職を繰り返しました。
ムージスのコネで働き口はいくらでもありましたが、いずれもユトリロには合いませんでした。
ユトリロの問題がアルコール依存症にあると見たムージスは、1901年、17歳のユトリロを断酒のために精神病院に入院させます。病院でアルコールと切り離されたユトリロは、ようやく健康になって退院することができました。
そして、医師の勧めで、シュザンヌはユトリロに絵を描かせるようになります。
ユトリロのアルコール依存症は、母親にかまわれない寂しさをまぎらわせるためのものだったので、他の何かに気を向けることが必要だと考えられたからです。
始めは絵を描くことに乗り気でなかったユトリロでしたが、次第に絵が自分の精神を落ち着かせてくれることに気づいて、のめりこんでいきます。こうして、画家ユトリロが誕生したのです。
ユトリロの絵の多くはパリの風景画ですが、その絵はいくつかの時期によって分類されています。
初期のユトリロは、退院後に祖母と一緒に暮らしたパリ郊外のモンマニーの風景をよく描いていました。
そのため、1904~1908年を「モンマニーの時代」と呼びます。

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ユトリロの「白の時代」

ユトリロ《ドゥイユの教会》1912年

1910~1914年頃までが、ユトリロが最も画家として充実していた「白の時代」です。
この頃の絵が「白の時代」と呼ばれるのは、絵の中に白い建物が数多く描かれているからです。ユトリロは白を強調するために、パリの街中に落ちている建物の漆喰を絵具に混ぜていたと言われています。
翠波画廊で取り扱った「白の時代」の作品にも、建物を描いた白い絵の具に3~5mmの漆喰と思われるカケラが塗りこめられていました。
ユトリロはパリの街の漆喰に多大な思い入れを抱いていました。
とあるインタビューで「パリの思い出にたった一つの物を選ぶとしたら何を選びますか」と聞かれたユトリロは、「子どもの頃に集めて遊んだ漆喰の欠片にします。それを触ったり眺めたりしていると、いろいろなことが思い出されるからです」と答えています。
ユトリロにとって、パリは観光地ではなく、生まれ育った故郷でした。
ユトリロの「白の時代」の代表作の一つである《ドゥイユの教会》は、まさに画面一面が白に覆われた絵です。
ユトリロはその生涯に多くの教会を描いています。
人生が辛かったために、神に救いを求める気持ちがあったのかもしれません。

ユトリロが求めていたのは母に認めてもらうことだった


シュザンヌ・ヴァラドン《自画像》

ユトリロの絵を見ても、マティスやピカソと同時代人であるとは思えません。
なぜユトリロが前衛芸術と無縁だったのかといえば、一つには、ピカソやモディリアーニのように、流行の先端であるパリに憧れて来た外国人画家ではなかった点が挙げられます。
パリ生まれのパリ育ちで、特に絵が好きというわけでもなかったユトリロは、画家として名を成して故郷に錦を飾りたいという野心とは無縁でした。
また、ユトリロにとって最も身近な画家であった母シュザンヌも、ユトリロを画家として認めてはいませんでした。
シュザンヌにとってユトリロの絵は、あくまでもアルコールに代わって息子を慰めてくれる手遊びにすぎませんでした。
ですから、ユトリロは流行とは距離をおいて独自の境地を開くことができたのです。
しかし、シュザンヌの思惑とは別に、パリの風景を描いたユトリロの絵の評価は上がっていきました。
1911年、27歳のユトリロは画商と契約を結んでプロの画家となります。
1913年には初めての個展が大評判となり、一躍人気画家の仲間入りを果たします。このとき、ユトリロはまだ29歳でした。
そしてユトリロは画商に請われるまま、この「白の時代」の5年間に、約500点もの絵を描いたと言われています。
白の時代の作品数については、ユトリロの鑑定家であった故ジャン・ファブリス氏の生前に聞いたことがあります。
彼は生前、白の時代に限定した作品集(カタログ・レゾネ)を出版していますが、そこに掲載されているのは470点です。
かくして人気画家になったユトリロでしたが、それほど幸福とは言えませんでした。
ユトリロの成功は母シュザンヌを瞠目させましたが、素直な賛辞を呼び起こすことがなかったからです。
自身も画家であるシュザンヌは、ユトリロの絵を宣伝して売りつつも、嫉妬心と競争心を抱き、ユトリロの絵を芸術性の低い商業絵画だと見下すことで自らの矜持を保とうとしました。
可哀想なユトリロ!

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