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2つの世界大戦に翻弄されたユダヤ人画家シャガール
~なぜ彼の絵は美しいのか?

パリのポンピドゥー・センターで、2023年10月4日~2024年2月26日にかけて「 Chagall à l’œuvre」(シャガールの仕事)と題された展覧会が開催されていました。
この展覧会は、シャガールの孫娘であるベラ・メイヤーとその夫が、2022年に同美術館に寄贈した127点の絵画などを中心にしたものです。これによって、ポンピドゥー・センターはシャガールの一大コレクションを所蔵することになりました。
鮮やかな色彩を駆使して恋人や花束など夢あふれるモチーフを描いたマルク・シャガールは、今なお世界中の人々に愛され続けています。しかし、彼の人生は決して夢や愛ばかりに満ちたものではありませんでした。
当時はまだロシア帝国領であったベラルーシのユダヤ人として生まれたシャガールは、ロシア革命と2つの世界大戦を経験するなど、時代の波に翻弄された画家でした。
特に、シャガールの2歳年下の画家志望の青年ヒトラーが、後にドイツの総統となってユダヤ人を弾圧し、シャガールの住むフランスに侵攻し、彼の絵を退廃美術として糾弾したことは、シャガールの人生に大きな傷を残しました。
そのように多くの辛酸を舐めたにもかかわらず、シャガールの絵は美しいものであり続けました。

労働者階級のユダヤ人として生まれたシャガール

シャガール《私と村》1911年

シャガールを理解するための重要な補助線はユダヤ人という出自です。
ユダヤ人国家イスラエルによるパレスチナのガザ地区への軍事侵攻のせいでにユダヤ人のイメージはたいへん悪化してしまいましたが、シャガールが生まれた当時はまだイスラエルは建国されておらず、ユダヤ人は自らの国家を持たないがために各国で少数民族として迫害される悲劇の民でした。
シャガールが生まれたのは、当時はロシア、現在はベラルーシのヴィツェプスクの町です。ベラルーシに住む人のほとんどはベラルーシ語を話すスラヴ系でが、シャガールはマイノリティのユダヤ系として生まれました。
当時のロシアにもユダヤ人に対する差別があり、ユダヤ人はユダヤ人居住区にしか住めないことになっていました。ヴィツェプスクはユダヤ人居住区であったため、モスクワを追い出されたユダヤ人が移住してきて、どんどんユダヤ人比率が高まっていました。
その結果、ヴィツェプスクは人口の半分をユダヤ人が占める町となりましたが、そのほとんどは知識階級でした。シャガールの両親は労働者階級であったために、生まれ育った地域ではユダヤ人は少数派でした。肉体労働者の父母のもとに9人兄弟の長男として生まれたシャガールは、経済的には恵まれない子ども時代を送りました。
そんなシャガールの密かな楽しみは絵を描くことで、やがて彼は画家に憧れるようになります。

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芸術の都パリに憧れたシャガール

シャガールの故郷ヴィツェプスクがあるベラルーシの地図
(当時はロシア領)

19歳の青年になったシャガールはヴィツェプスクにある絵画学校に通いますが満足できず、ロシア帝国の首都サンクト・ペテルブルクに出て本格的に美術を学びます。
大国ロシアと、辺境のベラルーシやウクライナの複雑な力関係は当時から存在していました。
しかし、貧しいユダヤ人のシャガールが入学できたのは、帝国芸術保護協会という二流の学校でした。
また、独創的なシャガールの絵はなかなか周囲に理解されず、すぐに先生と喧嘩して学校を辞めてしまい、その後もいくつかの学校に入退学を繰り返しました。
最終的に落ち着いたのが、フランスで前衛絵画を学んだユダヤ人画家レオン・バクストの私塾です。バクストのもとで印象派やポスト印象派などフランスの最新絵画を学んだシャガールは、パリでの画家修行に憧れるようになります。

エコール・ド・パリはユダヤ人の運動?

シャガール《ロシアとロバとその他のものたちに》1912年

1910年、23歳になったシャガールはパトロンに費用を出してもらってパリに留学します。当時の画家にとってパリへの留学は、箔をつけたり最新の理論を学んだりするために必須だったのです。
当時、パリの最先端はキュビスムで、フォーヴィスムも生まれたばかりでした。その頃のシャガールの絵を見ると双方に影響を受けたことがわかります。
シャガールがパリで居を構えたのはマティスやピカソが住んでいたモンパルナスですし、1912年に引っ越した先の共同アトリエ「蜂の巣」には、後にエコール・ド・パリと呼ばれる数多くのユダヤ人画家が出入りしていました。
イタリアのモディリアーニ、ブルガリアのパスキン、ポーランドのキスリング、そしてシャガールと同じロシア(ベラルーシ)から来たスーティンなどです。彼らはみなユダヤ人でした。エコール・ド・パリ(パリ派)にはユダヤ人画家が多かったために、エコール・ド・ジュイフ(ユダヤ派)の別名もあります。
シャガールがパリを愛して第二の故郷と呼んだのは、都会でありながらもユダヤ人コミュニティがあって居心地がよかったからかもしれません。

ユダヤ文化を知ればシャガールの絵も理解できる

シャガール《7本指の自画像》
1912-1913年

シャガールの絵にはユダヤ文化が色濃く反映されています。
パリに留学当時の作品《7本指の自画像》は、背景にエッフェル塔が描かれ、形態においては立体主義、色彩においては野獣主義の影響が見られますが、画家の指が7本だったり、右上に漫画の吹き出しのように画家の想像が描かれていたりと、シャガールの独創性が光っています。
この7本指というシュルレアリスティックなイメージは、実はユダヤの慣用句「7本の指を使えば、すべてうまくいく」からの引用です。7はユダヤ教では特別な数字であり、縁起がよいのです。
絵と同じくらい詩と音楽を愛したシャガールは、絵の中に文学的な比喩を挿入することで、突拍子もないイメージを生みだしました。
また、画中画として描かれているのは、前掲のシャガール作品《ロシアとロバとその他のものたちに》です。その作品の中では胴体と首が離れた農婦が宙に浮いていて、赤い牝牛の下には、牛の乳首に吸い付く緑色の人間が見えます。農婦や雌牛は故郷ヴィツェプスクの農村風景で、そこに幻想性が付加されて、シャガールならではのユニークな絵になったのです。

次回に続く。

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