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アンディ・ウォーホル大回顧展の意味
~ウォーホルはなぜ20世紀を代表する画家なのか?

ホイットニー美術館

2018年11月12日から、アメリカのホイットニー美術館で、350点の作品を集めたアンディ・ウォーホルの大回顧展『Andy Warhol? From A to B and Back Again』が開催されます。ウォーホルの回顧展は、その死後の1989年にニューヨーク近代美術館で開かれてから、およそ29年ぶりになります。実は草間彌生は、1989年のニューヨーク国際現代美術センターでの回顧展をきっかけに再ブレイクを果たしました。ですからこの回顧展がウォーホル再評価と価格上昇のきっかけになるかもしれません。単独アーティストの展覧会としてはホイットニー美術館過去最大とも言われる今回の回顧展が、現代美術界でのウォーホルの評価にどのように影響するのか、目が離せません。

 

二十世紀後半、つまり第二次世界大戦後の50年間で重要なアーティストは誰かと問えば、アンディ・ウォーホルの名前が必ず出てきます。アートに興味のない人でも、ウォーホルの作品を一度は目にして記憶にとどめています。のっぺりとピンク色の肌をした、シルクスクリーンのマリリン・モンロー。キャンバスにスクリーン印刷された、書割のようなキャンベルのスープ缶。あるいは、本物は紙製なのに、わざわざ木で作ったブリロの商品パッケージ。いわゆる「芸術」を脱構築する強度でいえば、ウォーホルの強さが際立ちます。

 

アンディ・ウォーホルが生まれたのは1928年のアメリカです。草間彌生と同世代で、アメリカ時代の草間とも親交がありました。ウォーホルの両親はチェコスロバキアからの移民で敬虔なカトリック教徒でした。父親が早逝し、家は貧しかったのですが、ウォーホルは働きながら大学進学し、商業美術を学びます。そして卒業後、グラフィック・デザイナーとして一定の成功をおさめました。

 

 

しかし、ウォーホルはクライアントの注文がうるさい商業美術(コマーシャルアート)に満足できませんでした。ピカソやマティスのように、自分の自由に描いたもので名声と金銭を得たくなったのです。そこで徐々に純粋美術(ファインアート)への転身を試みて作品制作にとりかかります。当初は「バットマン」や「スーパーマン」などのアメリカン・コミックを絵画に昇華していたのですが、リキテンスタインがアメコミの絵柄で先に成功したのを見てその路線からは手を引きます。

 

次にウォーホルがモチーフに選んだのは、商業美術でさんざん扱ってきたマスプロダクトでした。どこのスーパーマーケットにもある、ありふれたキャンベルのスープ缶をわざわざアートとして描いたことに、ウォーホルの反逆精神が垣間見えます。アメリカの大衆の日常生活の象徴であるスープ缶をアートとして提出することで、ウォーホルは大衆が主役となる大量消費社会やインターネット社会を先取りしました。

キャンベルのスープ缶の絵を32枚並べた個展は、狙い通り話題になりました。一介の広告イラストレーターだったウォーホルが、美術雑誌に名前の載るようなアーティストとして生まれ変わったのです。1962年、34歳のときのことでした。

 

実はスープ缶というアイデアは、ウォーホルが友人から買い取ったものでした。アーティストは自ら手を動かさなくても、そしてアイデアすらも自分自身のものでなくても、プロデューサーとして全体を代表することができればそれで良いと、ウォーホルは考えていたのです。その考えどおり、後にウォーホルは工房(ファクトリー)を作って、スタッフに作品を制作させるようになりました。

 

また、ウォーホルは「金持ちが飲んでも貧乏人が飲んでもコーラの美味しさは変わらない」とも言っています。スノッブなエリートを嫌い、大衆の肩を持ったのです。子ども時代に貧困で苦しみ、長じてからは成功を追い求めるようになったウォーホルですが、金や名声の多寡が人間の優劣を決めるものではないことをよく知っていました。ウォーホルがファインアートの世界で成功した理由の一つは、アートを特別視することなく、冷静な視点を持つ傍観者でいたからかもしれません。

 

ファーストアルバムのジャケット

ウォーホルの活動は絵にとどまりませんでした。1965年には、伝説のロックバンド、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコのファーストアルバムをプロデュースし、有名なバナナのジャケットデザインを手がけました。表面には、バンド名もアルバムタイトルもなく、ただプロデューサーのアンディ・ウォーホルの名前が目立ち、「めくって見てごらん」の文字に従ってシール状のバナナの皮をめくると、下からピンクの身が表れるアート作品です。

 

ゴシップにも事欠きません。ウォーホルのファクトリーには、前衛芸術家気取りのさまざまな奇人変人が出入りしていました。その中の一人、ヴァレリー・ソラナスという女性が、逆恨みからウォーホルを拳銃で狙撃します。1968年、ウォーホルは40歳でした。幸い一命はとりとめますが、以後ウォーホルのファクトリーは出入りが取り締まられるようになり、ウォーホル自身の人気にも影がさしました。とはいえ、以降もキース・ヘリングやバスキアを見出して共同制作するなど、ウォーホルの慧眼は衰えていません。

 

ウォーホルが亡くなったのは1987年です。死因は心臓発作で58歳でした。同性愛者だったウォーホルは生涯独身で子供もいなかったのですが、死後もその名声は衰えることはなく、今も作品の値段は上がり続けています。おそらくウォーホルは、反骨心を持つ世界中の若者のイコンなのです。「誰でも15分間は有名になれる」というウォーホルの言葉は、SNS全盛時代の現在、ますますその重みを増しています。

 

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