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ベルナール・ビュッフェ

ベルナール・ビュッフェ(BERNARD BUFFET) 絵画販売

花や街並み、フクロウのモチーフを描いた、油彩、グワッシュ(水彩)、リトグラフ等のサイン入りオリジナル版画を販売しております。

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ご購入には、額装費・送料無料、30日以内の返品保証、10回分割手数料無料など販売特典をご用意しております。

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作家の魅力

1 戦後の美術界に新風を巻き起こした天才

1 戦後の美術界に新風を巻き起こした天才

ビュッフェは20歳で権威のある批評家賞を受賞し、画廊と専属契約を結び、21歳からは海外でも個展が開催されるようになり、若くして高く評価された画家です。
ビュッフェの虚飾のない人物描写は、当時の若者に大きな影響を及ぼした、サルトルの「実存主義」やカミュの「不条理の思想」の具現化としてとらえられ、ビュッフェ旋風を巻き起こしました。「新具象派」あるいは「オムテモアン(目撃者)」と呼ばれ、多くの画家に影響を与えたのです。硬質で鋭利な黒い直線と、抑制された色彩によって、第二次世界大戦後の不安感や虚無感を描き出したことで、美術界に新風を吹き込んだ20世紀具象絵画の巨匠と評価されました。
ロシアのエルミタージュ美術館でも回顧展が開かれ、2016年から17年にかけてパリ市立近代美術館やモンマルトル美術館にて大規模な回顧展が開催されるなど、今なお世界的な人気を誇り、美術的な再評価の波も高まっています。

2 一度見たら忘れない「線の画家」

2 一度見たら忘れない「線の画家」

>ビュッフェの絵の特徴は、色もモチーフも人物の表情も寂しげで暗いことと、直線的で硬質な線を重ねた太い輪郭線、そして人間性を剥ぎ取られたかのような角張った人体像です。 ビュッフェの心の中にあったのは、強烈な孤独でした。事業家であった父はビュッフェ少年に構わず、心の拠り所であった母はビュッフェが17歳のときに死去します。20歳で結婚した最初の妻とは1年足らずで離婚し、その名声や財力とは裏腹に、ビュッフェの孤独感は強まります。
一目見たら忘れられない個性的な絵は、第二次世界大戦中に辛い思いをした人々の心象風景に合致して評判を博し、高く評価されました。
ビュッフェの内面を反映する作品は、観る者の心に強い印象を残り、今なお愛されています。
また、1960年頃から、力強い線のモノトーンの画風から多くの色彩を使うようになり、絵に明るさが加わります。
1958年、30歳の時、モデルであり、シャンソン歌手、小説家としての才能も豊かなアナベルと再婚します。その再婚が契機となり、ビュッフェの作品の幅はさらに広がりました。以降、アナベルは生涯のベストパートナーとしてビュッフェを支えます。
的確なデッサン力と鮮やかな色調は、コレクターを楽しませ続けています。

3 今なお高い評価を得る画家

3 今なお高い評価を得る画家

油彩を始めとするビュッフェの肉筆画は、ヨーロッパや日本のみならず、アメリカやアジアでも今なお人気を博しています。
2016年のクリスティーズでは、2mを超える油彩「道化の楽師、サックス奏者(LES CLOWNS MUSICIENS, LE SAXOPHONISTE)」(1991年)が手数料込み102 万ポンドで落札されました。当時の為替レートで、1億5685万円になります。この価格は、ユトリロやローランサンといった、エコール・ド・パリの画家にも引けを取りません。
また、2019年9月に上海のクリスティーズで行われたイブニングオークションでは、「ピエロとコーヒーカップ」が、約6890万円で落札されました。ビュッフェのよく描いたピエロが、頭の上にコーヒーカップを3つ重ねてバランスをとっている、ユーモアのある絵です。
このように、今なお海外のオークションで高値で売買されるビュッフェの肉筆画は、将来的な資産としてもおすすめです。

真贋には細心の注意を

1999年に没して以降もビュッフェの人気は衰えることなく、世界中のオークションや画廊で取り扱われています。
翠波画廊では、油彩やグワッシュなどの肉筆画は、鑑定書付きのものだけをご紹介しております。
これまで鑑定を担ってきたモーリス・ガルニエ氏が2014年に亡くなり、新たな鑑定を取る場合は、長年ガルニエ氏の右腕として働いてきたガルニエ画廊のガスバリアン氏の鑑定書が必要となります。版画は、カタログレゾネに掲載の、ビュッフェが生前に制作したオリジナル版画を中心にご紹介しております。

ベルナール・ビュッフェの生涯

天才画家故の苦悩

天才画家故の苦悩

1928年生まれのベルナール・ビュッフェは、早熟の天才でした。
10歳ごろから絵を描き始め、15歳で国立美術学校に合格、17歳でアトリエ作品賞を受賞、19歳で最初の個展を開き、パリ国立近代美術館に作品を購入されています。さらに、20歳で権威のある批評家賞を受賞し、画廊と専属契約を結び、21歳からは海外でも個展が開催されるようになりました。
あまりにも若くから有名になってしまったために、中年になってからは孤独やマンネリズムに苦しめられました。40代でフランス最高の栄誉であるレジオン・ドヌール勲章を受章したものの、60代からはパーキンソン病に悩まされ、71歳で自らの命を絶ってしまいました。
しかし、1999年に亡くなるまで、約50年にわたる画家人生通して、8000点を超える作品を制作し、注目されるが故の苦しみの中、様々な表現に挑みつづけました。そして今なお多くの人を魅了し続けています。

画家にして版画家(パントル・グラヴュール)

画家にして版画家(パントル・グラヴュール)

ビュッフェは版画の作品も数多く残し、版画家としてもその才能を発揮しています。
奥様のアナベルが、ビュッフェのリトグラフについて語った言葉があります。
「リトグラフを制作する時、彼は絵を描くのが好きな子供の眼差しを取り戻します。さまざまな色を使って遊び、陽気に操ります。要するに彼は楽しむのです」
ビュッフェのリトグラフを代表する作品として、「パリ」シリーズや「ニューヨーク」シリーズ、挿画本『私のサーカス』が挙げられます。
また、銅板に鋭い刃物で直彫りし、その凹面にインクを詰めて紙に刷るドライポイントという技法を用いて、力強い線のタッチを表現し、数多くの銅版画を制作しました。

日本のビュッフェ美術館

日本のビュッフェ美術館

1973年、日本の静岡県にベルナール・ビュフェ美術館が創設されました。
日本のベルナール・ビュフェ美術館を設立したのは、スルガ銀行頭取の岡野喜一郎です。
喜一郎は、スルガ銀行を創立した岡野喜太郎の孫で、岡野家は、代々、スルガ銀行の頭取を務める名士の一族です。その財力で収集した個人コレクションをもとにつくられたのが、静岡県(昔の駿河国)にあるベルナール・ビュフェ美術館です。
収蔵作品数は油彩画、水彩画、素描、版画、挿画本、ポスター等あわせて2000点を超え、世界一のビュッフェコレクションを誇っています。

1928年

ベルナール・ビュッフェ、7月10日パリに生まれる。

1943年

第二次大戦中、ベルナール・ビュッフェ、パリ国立高等芸術学校に入学、デッサンを習う。

1944年

ベルナール・ビュッフェ、エコール・デ・ボザールに入学。母死去。貧窮に苦しむ。美校を退学。

1937年

秋田の平野政吉の依頼により大壁画(秋田の行事)を描く。

1945年

セーヌ・エ・オワーズ県の学友の家に滞在し、「キリストの磔刑」(パリ近代美術館蔵)など本格的な作品を制作。

1947年

ベルナール・ビュッフェ、アンデパンダン展に出品、注目され始める。サロン・ドートンヌに出品。初のベルナール・ビュッフェ個展。パリ近代美術館に作品収蔵。

1948年

ベルナール・ビュッフェ、パリで最も権威のある新人賞・批評家賞を受賞。バレー「部屋」の舞台美術を担当。ドライポイントを始める。

1959年

神奈川県立近代美術館で日本初のベルナール・ビュッフェ展「デッサンと版画」が開催。

1963年

東京、京都の国立近代美術館において「ベルナール・ビュッフェ展、その芸術の全貌」開催。

1964年

1960年代の資本主義の象徴であるニューヨークのビル群を描いた連作版画、『アルバム・ニューヨーク』が制作されます。 ビュッフェの初期の代表作と言えるでしょう。

「アルバム・ニューヨーク 60」

「アルバム・ニューヨーク 61」

1966年

「植物図集」が出版されます。ビュッフェによる16点の花のリトグラフに、女流詩人ヴィルモランによる詩が添えられた挿画本です。

「植物図集:キク」

1971年

ベルナール・ビュッフェ、レジオン・ドヌール勲章を受章。

1973年

静岡県に「ベルナール・ビュッフェ美術館」誕生。

1974年

バチカン法王庁美術館のアパルタメント・ボルジャに現代美術コレクションの一部として大作8点が収蔵される。フランス・アカデミー会員となる。

1978年

挿画本『サントロペ』は、23点のリトグラフと共にビュッフェ自身による手書きのテキストが添えられた作品。サントロペは、妻アナベルとの出会いの地でもあり、ビュッフェが生涯愛した思い出の街。海の風景を鮮やかに切り取った、大胆な構図と明るい色彩が美しい作品です。

「サントロペ‐教会と湾」

「サントロペ シタデルからの眺め」

1980年

ベルナール・ビュッフェ初来日。

1991年

ロシアのプーシキン、エルミタージュの両美術館で回顧展。

1999年

フランス南部、トゥルトゥールの自宅にて死去。

ベルナール・ビュッフェのご購入をご検討の方
~私たちにできること ~


1. 絵画購入のご相談


絵画購入について、ご質問やご不安なことはお気軽に翠波画廊にご相談ください。
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2015年度から美術品に関する税制が変わり、取得価額が100万円未満の美術品が償却資産に出来るようになりました。経費での絵画購入をご検討の場合は、まずは翠波画廊にご相談ください。
購入後の流れ、売却なども視野に入れた具体的な内容をアドバイスします。

お電話、メールでもお気軽にお問い合わせください。

TEL:03-3561-1152(平日土/10:00~18:00)
メール:info@suiha.co.jp


翠波画廊では、ベルナール・ビュッフェ作品の買取も行っております。ベルナール・ビュッフェ作品の売却をお考えの方は、ご相談ください。買取査定は無料です。メール、電話などお気軽にお問い合わせください。

絵画査定・買取

3つの約束

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ご購入後の作品や額のトラブル、下取りなども
お気軽にご相談ください。

ベルナール・ビュッフェ略歴

BERNARD BUFFET

1928年 ベルナール・ビュッフェ、7月10日パリに生まれる。
1943年 第二次大戦中、ベルナール・ビュッフェ、パリ国立高等芸術学校に入学、デッサンを習う。
1944年 ベルナール・ビュッフェ、エコール・デ・ボザールに入学。母死去。貧窮に苦しむ。美校を退学。
1945年 セーヌ・エ・オワーズ県の学友の家に滞在し、「キリストの磔刑」(パリ近代美術館蔵)など本格的な作品を制作。
1947年 ベルナール・ビュッフェ、アンデパンダン展に出品、注目され始める。サロン・ドートンヌに出品。初のベルナール・ビュッフェ個展。パリ近代美術館に作品収蔵。
1948年 ベルナール・ビュッフェ、パリで最も権威のある新人賞・批評家賞を受賞。バレー「部屋」の舞台美術を担当。ドライポイントを始める。
1959年 神奈川県立近代美術館で日本初のベルナール・ビュッフェ展「デッサンと版画」が開催。
1963年 東京、京都の国立近代美術館において「ベルナール・ビュッフェ展、その芸術の全貌」開催。
1971年 ベルナール・ビュッフェ、レジオン・ドヌール勲章を受章。
1973年 静岡県に「ベルナール・ビュッフェ美術館」誕生。
1974年 バチカン法王庁美術館のアパルタメント・ボルジャに現代美術コレクションの一部として大作8点が収蔵される。フランス・アカデミー会員となる。
1980年 ベルナール・ビュッフェ初来日。
1991年 ロシアのプーシキン、エルミタージュの両美術館で回顧展。
1999年 フランス南部、トゥルトゥールの自宅にて死去。

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