ベルナール・ビュッフェ
ベルナール・ビュッフェ(BERNARD BUFFET) 絵画作品販売
ビュッフェ、油彩、グワッシュ(水彩)、リトグラフ等のサイン入りオリジナル版画を販売しております。
販売サイト掲載の作品は画廊でご覧いただけます。
ベルナール・ビュッフェの作品一覧
302件中
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ベルナール・ビュッフェの魅力
ベルナール・ビュッフェ絵画販売サイトでは、油彩、水彩、素猫、オリジナル版画まで幅広く取り揃え販売しております。絵画販売サイトに掲載されている絵画は、翠波画廊にご来廊いただければ、現品をご覧いただけます。
作家の魅力
1 戦後の美術界に新風を巻き起こした天才
1 戦後の美術界に新風を巻き起こした天才
ビュッフェの虚飾のない人物描写は、当時の若者に大きな影響を及ぼした、サルトルの「実存主義」やカミュの「不条理の思想」の具現化としてとらえられ、ビュッフェ旋風を巻き起こしました。「新具象派」あるいは「オムテモアン(目撃者)」と呼ばれ、多くの画家に影響を与えたのです。硬質で鋭利な黒い直線と、抑制された色彩によって、第二次世界大戦後の不安感や虚無感を描き出したことで、美術界に新風を吹き込んだ20世紀具象絵画の巨匠と評価されました。
ロシアのエルミタージュ美術館でも回顧展が開かれ、2016年から17年にかけてパリ市立近代美術館やモンマルトル美術館にて大規模な回顧展が開催されるなど、今なお世界的な人気を誇り、美術的な再評価の波も高まっています。
2 一度見たら忘れない「線の画家」
2 一度見たら忘れない「線の画家」
一目見たら忘れられない個性的な絵は、第二次世界大戦中に辛い思いをした人々の心象風景に合致して評判を博し、高く評価されました。
ビュッフェの内面を反映する作品は、観る者の心に強い印象を残り、今なお愛されています。
また、1960年頃から、力強い線のモノトーンの画風から多くの色彩を使うようになり、絵に明るさが加わります。
1958年、30歳の時、モデルであり、シャンソン歌手、小説家としての才能も豊かなアナベルと再婚します。その再婚が契機となり、ビュッフェの作品の幅はさらに広がりました。以降、アナベルは生涯のベストパートナーとしてビュッフェを支えます。
的確なデッサン力と鮮やかな色調は、コレクターを楽しませ続けています。
3 今なお高い評価を得る画家
3 今なお高い評価を得る画家
2016年のクリスティーズでは、2mを超える油彩「道化の楽師、サックス奏者(LES CLOWNS MUSICIENS, LE SAXOPHONISTE)」(1991年)が手数料込み102 万ポンドで落札されました。当時の為替レートで、1億5685万円になります。この価格は、ユトリロやローランサンといった、エコール・ド・パリの画家にも引けを取りません。
また、2019年9月に上海のクリスティーズで行われたイブニングオークションでは、「ピエロとコーヒーカップ」が、約6890万円で落札されました。ビュッフェのよく描いたピエロが、頭の上にコーヒーカップを3つ重ねてバランスをとっている、ユーモアのある絵です。
このように、今なお海外のオークションで高値で売買されるビュッフェの肉筆画は、将来的な資産としてもおすすめです。
真贋には細心の注意を
翠波画廊では、油彩やグワッシュなどの肉筆画は、鑑定書付きのものだけをご紹介しております。
これまで鑑定を担ってきたモーリス・ガルニエ氏が2014年に亡くなり、新たな鑑定を取る場合は、長年ガルニエ氏の右腕として働いてきたガルニエ画廊のガスバリアン氏の鑑定書が必要となります。版画は、カタログレゾネに掲載の、ビュッフェが生前に制作したオリジナル版画を中心にご紹介しております。
ベルナール・ビュッフェの生涯
天才画家故の苦悩
天才画家故の苦悩
10歳ごろから絵を描き始め、15歳で国立美術学校に合格、17歳でアトリエ作品賞を受賞、19歳で最初の個展を開き、パリ国立近代美術館に作品を購入されています。さらに、20歳で権威のある批評家賞を受賞し、画廊と専属契約を結び、21歳からは海外でも個展が開催されるようになりました。
あまりにも若くから有名になってしまったために、中年になってからは孤独やマンネリズムに苦しめられました。40代でフランス最高の栄誉であるレジオン・ドヌール勲章を受章したものの、60代からはパーキンソン病に悩まされ、71歳で自らの命を絶ってしまいました。
しかし、1999年に亡くなるまで、約50年にわたる画家人生通して、8000点を超える作品を制作し、注目されるが故の苦しみの中、様々な表現に挑みつづけました。そして今なお多くの人を魅了し続けています。
画家にして版画家(パントル・グラヴュール)
画家にして版画家(パントル・グラヴュール)
奥様のアナベルが、ビュッフェのリトグラフについて語った言葉があります。
「リトグラフを制作する時、彼は絵を描くのが好きな子供の眼差しを取り戻します。さまざまな色を使って遊び、陽気に操ります。要するに彼は楽しむのです」
ビュッフェのリトグラフを代表する作品として、「パリ」シリーズや「ニューヨーク」シリーズ、挿画本『私のサーカス』が挙げられます。
また、銅板に鋭い刃物で直彫りし、その凹面にインクを詰めて紙に刷るドライポイントという技法を用いて、力強い線のタッチを表現し、数多くの銅版画を制作しました。
日本のビュッフェ美術館
日本のビュッフェ美術館
日本のベルナール・ビュフェ美術館を設立したのは、スルガ銀行頭取の岡野喜一郎です。
喜一郎は、スルガ銀行を創立した岡野喜太郎の孫で、岡野家は、代々、スルガ銀行の頭取を務める名士の一族です。その財力で収集した個人コレクションをもとにつくられたのが、静岡県(昔の駿河国)にあるベルナール・ビュフェ美術館です。
収蔵作品数は油彩画、水彩画、素描、版画、挿画本、ポスター等あわせて2000点を超え、世界一のビュッフェコレクションを誇っています。
1928年 |
ベルナール・ビュッフェ、7月10日パリに生まれる。 |
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1943年 |
第二次大戦中、ベルナール・ビュッフェ、パリ国立高等芸術学校に入学、デッサンを習う。 |
1944年 |
ベルナール・ビュッフェ、エコール・デ・ボザールに入学。母死去。貧窮に苦しむ。美校を退学。 |
1937年 |
秋田の平野政吉の依頼により大壁画(秋田の行事)を描く。 |
1945年 |
セーヌ・エ・オワーズ県の学友の家に滞在し、「キリストの磔刑」(パリ近代美術館蔵)など本格的な作品を制作。 |
1947年 |
ベルナール・ビュッフェ、アンデパンダン展に出品、注目され始める。サロン・ドートンヌに出品。初のベルナール・ビュッフェ個展。パリ近代美術館に作品収蔵。 |
1948年 |
ベルナール・ビュッフェ、パリで最も権威のある新人賞・批評家賞を受賞。バレー「部屋」の舞台美術を担当。ドライポイントを始める。 |
1959年 |
神奈川県立近代美術館で日本初のベルナール・ビュッフェ展「デッサンと版画」が開催。 |
1963年 |
東京、京都の国立近代美術館において「ベルナール・ビュッフェ展、その芸術の全貌」開催。 |
1964年 |
1960年代の資本主義の象徴であるニューヨークのビル群を描いた連作版画、『アルバム・ニューヨーク』が制作されます。 ビュッフェの初期の代表作と言えるでしょう。 |
1966年 |
「植物図集」が出版されます。ビュッフェによる16点の花のリトグラフに、女流詩人ヴィルモランによる詩が添えられた挿画本です。 |
1971年 |
ベルナール・ビュッフェ、レジオン・ドヌール勲章を受章。 |
1973年 |
静岡県に「ベルナール・ビュッフェ美術館」誕生。 |
1974年 |
バチカン法王庁美術館のアパルタメント・ボルジャに現代美術コレクションの一部として大作8点が収蔵される。フランス・アカデミー会員となる。 |
1978年 |
挿画本『サントロペ』は、23点のリトグラフと共にビュッフェ自身による手書きのテキストが添えられた作品。サントロペは、妻アナベルとの出会いの地でもあり、ビュッフェが生涯愛した思い出の街。海の風景を鮮やかに切り取った、大胆な構図と明るい色彩が美しい作品です。 |
1980年 |
ベルナール・ビュッフェ初来日。 |
1991年 |
ロシアのプーシキン、エルミタージュの両美術館で回顧展。 |
1999年 |
フランス南部、トゥルトゥールの自宅にて死去。 |
【ベルナール・ビュッフェ 関連コラム】
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ベルナール・ビュッフェ略歴
1928年 | ベルナール・ビュッフェ、7月10日パリに生まれる。 |
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1943年 | 第二次大戦中、ベルナール・ビュッフェ、パリ国立高等芸術学校に入学、デッサンを習う。 |
1944年 | ベルナール・ビュッフェ、エコール・デ・ボザールに入学。母死去。貧窮に苦しむ。美校を退学。 |
1945年 | セーヌ・エ・オワーズ県の学友の家に滞在し、「キリストの磔刑」(パリ近代美術館蔵)など本格的な作品を制作。 |
1947年 | ベルナール・ビュッフェ、アンデパンダン展に出品、注目され始める。サロン・ドートンヌに出品。初のベルナール・ビュッフェ個展。パリ近代美術館に作品収蔵。 |
1948年 | ベルナール・ビュッフェ、パリで最も権威のある新人賞・批評家賞を受賞。バレー「部屋」の舞台美術を担当。ドライポイントを始める。 |
1959年 | 神奈川県立近代美術館で日本初のベルナール・ビュッフェ展「デッサンと版画」が開催。 |
1963年 | 東京、京都の国立近代美術館において「ベルナール・ビュッフェ展、その芸術の全貌」開催。 |
1971年 | ベルナール・ビュッフェ、レジオン・ドヌール勲章を受章。 |
1973年 | 静岡県に「ベルナール・ビュッフェ美術館」誕生。 |
1974年 | バチカン法王庁美術館のアパルタメント・ボルジャに現代美術コレクションの一部として大作8点が収蔵される。フランス・アカデミー会員となる。 |
1980年 | ベルナール・ビュッフェ初来日。 |
1991年 | ロシアのプーシキン、エルミタージュの両美術館で回顧展。 |
1999年 | フランス南部、トゥルトゥールの自宅にて死去。 |