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あの外国人画家を支えたのは日本人妻?
~バルテュス、イサム・ノグチ、ギィ・デサップなど

2018年の厚労省の発表によれば、日本に届けられる年間の婚姻総数62万に対して、国際結婚が2万あったそうです。つまり29組の1組が国際結婚で、その比率は3.4%です。実は、国際結婚の比率のピークは2006年で、当時は6.1%もありました。現在の小学校のクラスには平均して2、3人のハーフの子がいます。今回は、日本人女性と国際結婚した外国人画家について調べてみました。

 

ワーグマン 「大阪城内で訓練を披露する英国陸軍兵士」1867年

江戸時代まで鎖国政策を採っていた日本で国際結婚が増えるのは、明治に外国人の技師や商人が陸続と来日するようになってからです。イギリスの画家チャールズ・ワーグマン(1832-1891)もその一人です。
マネと同年生まれのワーグマンは、挿画を描く新聞記者として来日し、外国人向けの雑誌「ジャパン・パンチ」を創刊するなど日本に貢献しました。風刺漫画をポンチ絵と呼ぶのは、この「ジャパン・パンチ」に由来します。ワーグマンは日本人女性と結婚して日本に永住し、洋画家の髙橋由一などに絵を教えました。

 

ビゴー「魚釣り遊び」1887年

明治政府は産業革命後の欧州文明に追いつくために、様々な分野で「お雇い外国人」を集めました。絵画の講師として採用されたのが、フランス人画家のジョルジュ・ビゴー(1860-1927)です。スーラやシニャックと同世代のビゴーは、パリのエコール・デ・ボザールで学び、ジャポニスムに憧れて来日します。日本政府に2年間雇用されて絵画を教えた後は、雑誌「トバエ」を創刊して風刺漫画を描いたり、現地記者として欧米の新聞に記事を書いたりして生計をたてました。ビゴーの風刺漫画は、今でも日本の歴史教科書によく掲載されています。1894年には日本人女性と結婚しますが、うまくいかず離婚になり、1899年にフランスに帰国してフランス人女性と再婚しています。ビゴーは日本に滞在中もフランスのサロンに絵画を出品し、画家としてのキャリアを夢見ていました。しかし、ビゴーのサロン初入選は帰国後の1903年で、フランスではあまり高く評価されませんでした。

 

時代は下って、20世紀になると日本の存在感も大きくなり、国際結婚も増えてきます。
絵画業界で最も有名な事例は、フランスの画家バルテュス(1908-2001)と、日本女性、出田節子(1942-)との結婚でしょう。20歳の節子と出会った当時、バルテュスは54歳で妻子がありましたが、紆余曲折の末に離婚して、1967年に節子と再婚します。その年齢差は34歳で、少女を愛して少女を描き続けた画家バルテュスの面目躍如でしょうか。

 

変わり種としては日系アメリカ人の画家・彫刻家イサム・ノグチ(1904-1988)と、日本人の歌手・女優だった山口淑子(やまぐちよしこ:1920-2014)の国際結婚があげられます。日本人の父とアメリカ人の母との間に生まれたイサムは、アメリカ生まれで国籍もアメリカですが、第二次世界大戦時には日系人として強制収容所に志願して入りました。一方の山口淑子は両親ともに日本人ですが、中国生まれで、戦前は李香蘭という名前で芸能活動をしていました。戦後はアメリカに渡ってシャーリー・ヤマグチの名前で活躍し、イサム・ノグチと出会って結婚します。

 

イ・ジュンソプ「牛」

映画にも描かれた国際結婚として有名なのは、韓国人画家の李仲燮(イ・ジュンソプ:1916-1956)と日本人女性の山本方子(やまもとまさこ:1921-)の事例です。
ジュンソプは日本統治下の朝鮮半島に生まれ、東京の帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)で絵を学んだ画家です。日本滞在中に山本方子と出会い、終戦直前の1945年3月に朝鮮で結婚します。しかし、1950年に起きた朝鮮戦争で治安が悪化したため、1952年に方子と2人の子どもを日本に疎開させます。当時はまだ日本と韓国の間に国交がなく、ジュンソプには渡航許可が出なかったため、本人は韓国に残りましたが、それが妻子との永遠の別れになってしまいました。イ・ジュンソプの映画の中では、日本人監督のつくったドキュメンタリー『ふたつの祖国、ひとつの愛~イ・ジュンソプの妻~』が入手しやすいです。ジュンソプは1956年に39歳で孤独死しました。死後にその評価が高まり、現在は韓国に個人美術館が建てられています。

 

厳密には画家とはいえませんが、ビデオ・アーティスト夫婦のナム・ジュン・パイク(白南準:1932-2006)と久保田茂子(1937-)も、現代美術界ではよく知られた国際結婚です。現在は韓国の首都となっている京城(ソウル)で生まれたナム・ジュン・パイクは、朝鮮戦争の戦禍を逃れるかたちで日本に移住。東京大学を卒業し、アメリカに渡ってアーティスト活動を行い、最終的にアメリカ国籍を取得します。久保田茂子も大学卒業後に渡米、前衛芸術運動のフルクサスに参加してナム・ジュン・パイクと知り合い、後に結婚します。

 

親日家の画家として、ミヒャエル・クーデンホーフ=カレルギー(1937-)の名前も忘れることはできないでしょう。カレルギーはオーストリアの画家です。現在はチェコスロバキアとなっているプラハで生まれ、ウィーンの美術アカデミーで学びました。カレルギーは父方の祖母が日本人だったことと、父親が日本研究者だった関係で幼いころから親日家で、後に日本人女性と再婚して、2002年からは日本で生活しています。

 

最後に、翠波画廊取り扱い作家のギィ・デサップ(1938-)を紹介しましょう。
フランスに生まれたデサップは、フランス各地を転々としながら絵の修業をし、1965年にアメリカに渡って画家としてのキャリアを積みます。その後、再びフランスに戻ったときに、旅に来ていた日本人女性と出会って結婚に至ります。デサップが結婚したのは50代のときでしたが、初婚でした。絵を描くのに夢中で、婚期が遅れてしまったのです。現在は二人の子どもに恵まれて幸せな結婚生活を送っています。

 

 


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