アートコラム

映画『キューティー&ボクサー』は、なぜ高評価なのか?

2017/10/02

20世紀前半、芸術の中心地はパリでした。
そのため、梅原龍三郎や東郷青児、そして岡本太郎といった日本の洋画家の多くは、フランスに留学して絵を学んでいます。 日本人ばかりではありません。当時のパリには、多くの外国人画家が集まり、エコール・ド・パリ(パリ派)の名前を冠せられました。 その中には、藤田嗣治や佐伯祐三のように、フランスで人生を終えた画家もいます。 しかし、第二次世界大戦が終わると、芸術の中心はニューヨークに移りました。そこで、戦後の現代美術家は、今度はニューヨークで修行するようになります。篠原有司男さんも、その一人です。彼は1969年に渡米してから、2017年の現在まで50年近くニューヨークに滞在し、芸術家として活動しています。

 

篠原有司男さんは、日本の現代美術の歴史には名前の残る人物ですが、一般にはほとんど知られていないでしょう。アメリカでもその事情は変わりません。しかし、2013年、篠原有司男さんの私生活を撮影したドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー』が、サンダンス映画祭受賞とアカデミー賞ノミネートによって多くの観客を得た結果、その作品や活動も再評価されることになりました。

 

▲映画『キューティー&ボクサー』

 

映画『キューティー&ボクサー』は、アメリカ人のザッカリー・ハインザーリング監督によって撮影された、篠原有司男さん夫婦のドキュメンタリー作品です。ドキュメンタリーは現実を素材として編集された作品ですが、そこに映し出された夫婦の姿は、思いもかけないリアリティーをもって観客の胸に迫ってきます。なにしろ、1932年生まれの篠原有司男さんは、映画公開当時81歳で、妻の篠原乃り子さんは60歳です。映画が映し出すのは、まず異国で暮らす高齢日本人夫婦の生活です。それだけでも、高齢化社会を迎えた日本人には興味深い題材です。

 

さらに、篠原夫婦はただの高齢者ではありません。二人はともに、現役の美術家でもあります。夫妻の暮らすブルックリンのアパートは、過去の作品や制作途中の作品、そしておびただしい数の制作道具、塗料の汚れで雑然としています。私たちは、芸術家に対してなんとなく狂気や天才のイメージを持っています。そのため、彼らがどのような私生活をおくっているのか、覗き見的な興味を抱くことがあります。カメラは、二人の生活を赤裸々に写しだして、観客を飽きさせません。端的に言えば、作品がなかなか売れない二人は、お金に余裕がありません。作品の売却交渉や、買い物のシーンで、夫婦の倹約生活が明かされます。観客は、自由気ままな生活をおくる芸術家を羨む一方で、その困窮具合を見て、芸術家ではない自分たちに安堵することができます。

 

▲ブルックリン橋

 

しかし、異国で暮らす日本人高齢者の姿と、現代美術家の貧困生活は、この映画のメインテーマではありません。この映画は、しばしばラブストーリーであると形容されるように、主題となっているのは81歳の篠原有司男さん(ボクサー)と、60歳の篠原乃り子さん(キューティー)との愛憎劇です。有司男さんより3年遅く、1972年にニューヨークに来た20歳の乃り子さんは、41歳の有司男さんに出会って、恋に落ちます。そして、すぐに妊娠した乃り子さんは、1974年に二人の間の息子アレクサンダー・空海を産みます。しかし、当時、有司男さんは日本に妻子がいたために、周囲の反対も激しいものでした。裕福な実家から援助を受けていた乃り子さんは、仕送りを止められてしまいます。それでも、二人は助け合って、アメリカでサバイバルする道を選びました。

 

▲ブルックリンの街角

 

このように、激しい恋愛をした二人ですが、40年経った現在の様子は、どこにでもいる普通の老夫婦に見えます。喧嘩をしたり、愚痴を言ったり、それでも当たり前のように助け合っている、ごく普通の夫婦です。正確に言えば、乃り子さんのほうが有司男さんに対して不満が大きいようです。乃り子さんは自虐的に「有司男は私のお金が目当てだった」、「出会ってすぐに金を無心された」、「お金がないから別れることもできない」などと語ります。では、それが本心で、二人は離婚の危機にあるのかといえば、そうも見えません。乃り子さんは、ボヘミアンな有司男さんに文句を言いつつも、まったく別れる気はなさそうです。それを見ながら観客は、アメリカという異国の地で40年を過ごしてきた夫婦の、他人にはわからない絆の強さを思い知らされるのです。

 

乃り子さんが、映画のタイトルでキューティーと呼ばれるのは、制作中の自伝マンガアートの主人公の名前にちなんでいます。一方、有司男さんがボクサーと呼ばれるのは、彼がボクシング・ペインティングで有名になったアーティストだからです。クシング・ペインティングとは、絵の具を染み込ませたグローブを両手にはめて、壁に広げられた巨大なキャンバスを、移動しながら連打することで絵を描く手法です。ニューヨーク・アートシーンのアクションペインティングの再解釈といえるでしょう。ポロックのドリッピングに似て、無作為に作られる絵の具の染みがアートであるかどうかは意見の分かれるところでしょうが、少なくともその制作風景は、メディアでは受けて、有司男さんは現代芸術家として名前を売りました。

 

映画『キューティー&ボクサー』は、現代美術に興味のない方でも、面白く観られる映画です。赤瀬川源平さん、荒川修作さんと並ぶ、60年代の日本現代美術界のスター篠原有司男さんは、人生そのものがアートともいえる異化効果を、私たちに突き付けてくるのです。

 

 


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