「黄昏時」の想いから、作品が生まれる
海老塚耕一(撮影:望月孝)平櫛田中賞、第6回インド・トリエンナーレ・ゴールドメダル受賞など、国内外で高い評価を受け、現代日本の抽象彫刻を代表する存在として注目を集める海老塚耕一氏。
東京国立近代美術館や横須賀美術館にも収蔵されるその作品は、素材との対話から生まれ、水や風と響き合い静謐な自然の気配を映し出します。
海老塚の作品は、木、石、鉄、水──人類が古代から向き合ってきた素材に、圧倒的な静けさと緊張を宿らせます。
そんな海老塚耕一先生から、2025年12月-1月に翠波画廊にて開催の個展に際して、寄稿文を寄せていただきました。
全文をこちらでご紹介させていただきます。
「黄昏時」の想いから、作品が生まれる
海老塚耕一「乏しい詩人」作業場へ降りる時間はおおよそ九時と決まっていますが、上がる時間は季節によって異なります。日々異なると言って良いかもしれません。
作業の終わりであり、思索の始まりであるこの時間は、日が暮れかかろうとしているとき、人の存在はおぼろげに認めることはできるが顔はぼんやりとしか見えず「あの人は誰だろう」と問いかける様子、「誰ぞ彼(たれぞかれ)」が由来の「黄昏時」です。
外の光景がこの状態に入るころに仕事を終え、連綿と続けている思索の時間が始まります。「逢う魔が時・大禍時」ともいうこの時間帯は、昔から「魔物や災いに遭遇する時間帯・大きな禍が起こりやすい時」として恐れられていたと伝えられますが、私にとっては感覚が振動する、大切な嬉しい愉の時間です。
しかもそこは変化する境界であり限界であるということです。
思索の始まりは庭に佇み、山の散策です。
小川の水の音を聴きながら佇み、山の広葉樹の木々の間から弱々しい外光が斜めに差し込み、淡い光の線が幾筋も作られ揺れている山道を歩きます。
すると度々出会います。雨粒が分解していくように、空気の粒がちりぢりになり、あたかも未詳な部分をあちらこちらに作っていくような、足りない空間とでも例えるしかない隙間、空虚に。
昼と夜という主体と客体が入れ替わる夕刻のこの時間には、転換が起こり、溶暗が始まります。その現実の情景、場には、威張った全体という最も嫌な、拒否すべき強さはなく、不完全であること、つまり未完が存在し、中途であり半端な状況が現れます。
柔らかな結節が生まれ、山のすべてのものそれぞれがそれぞれに凭りかかっている、そんなある意味では忘れ去られている場、誰にも気づかれない場、そのような時間、そのような場所で淡い構想が生まれ、徐々に言葉が形を成していき、表現が構築されていきます。
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作品は「黄昏時」のように、完成し完全であってはいけない、いつも動作していていることが大切だと思っています。
作品は未完であり、断片であるということです。欠けているものから生じる言葉を、そこから与えられる構造を大切にしています。
「もの」と「場」と「私」の磁力のコラボレーションによって作品は生まれます。「もの」と「場の力」の表現を理解し、それらとの対話のなかで生まれる想いが、構想となり、内なる私を成立させ、外なる私を解体させるための出発点となります。
全体主義の主体性を捨て制作された作品は、非連続なものであり、壊れやすく、虚弱です。そして弱い。これらの要素により作品に物理的な臨界状態が現れます。ギリギリの状態で作品として成り立つということでしょうか。それが私にとっての作品です。
多くの表現において「もの」は材料として捉えられ、「場」も空間として理解され、それらが忘れ去られている現在、作り手が主体であり主役となっています。
止まれ、はたして美術家は主体であり、主役であるのでしょうか。こう思います。美術家は、「もの」と「場」の記憶に結びついた存在の記憶を注視し、大切にしなければならないと。
そう、内なるものと外なるものは差異と差別の出発点である「弱さ」を考え表現する作り手でいたいと、思うわけです。
弱さが存在するからこそ、私を含めた鑑賞者が接触の都度に、ひとつの異なった実体が生み出されていくのですから。あたかも「黄昏時」のように。だからこそ、毎日庭に佇み、山を散策するわけです。

そんな想いと日常のなかで、今回の作品は生まれました。
まず、レリーフ-壁に掛けられる作品での個展が条件として示されました。しかもワイヤーで吊すという条件もついていました。
今までの表現方法において、提示された条件はすべて障害となるものでした。
面白いことに、今までの制作のなかで、私にとってこの画廊の「壁」は場として存在することのなかった初めての場所-壁であり、設置方法でした。
ということは逆説的にいうならば私にとっては「放置された場」であり、新たに考えなければならない場として新鮮に見えました。
その様な状況で黄昏時の思索が始まります。木を使用することがまず浮かび、素材としてふたつの木、栓と欅を選択します。対比される木の様子が、心をくすぐります。
それぞれ一枚の木をいくつかに切断して、いくつかの広がりを作ります。それら一枚一枚を基準のプレートとして、垂直と水平を考慮し、木と鉛と鉄を、切断し、彫り、削り、スクラッチングをし、溶接をし、塗装を施します。
その時、木のプレートを含めた素材同士は分離する一方で、新たなつながりを持っていく、そのようなことを構想し、制作は始まりました。
《海老塚耕一作品のご紹介》

《無言の渋滞》
木、鉄、鉛、絵具、塗料
54.4×57.5×6.5cm
詳細はこちら>>

《際限のない繰り言》
木、鉄、鉛、アルミニウム、絵具、塗料
6.3×18.7×16.8cm
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《感覚の振動》
木、鉄、鉛、絵具、塗料
11.5×50.1×57.0cm
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