フェルメールは忘れられた画家だった?
~19世紀にフェルメールの価格が爆上がりした理由
フェルメール《真珠の耳飾りの少女》フェルメールは、ゴッホと並び日本で最も人気のある画家です。
なかでも代表作の一つである「真珠の耳飾りの少女」は、フェルメールを知らない人でも一度は目にしたことがあるほど広く親しまれている名画です。
最近では、2026年8月に大阪にて14年ぶりの来日を果たすことが決まり大きな話題を呼びました。
しかしゴッホと同じく、生きていた時代にはそこまで人気がありませんでした。
それどころか死後200年あまりの間、ほぼ忘れられた画家でした。
それくらい商品価値がなかったのです。
では、いったいどんな理由で作品の価値が高まったのでしょうか?
フェルメールの生きた時代のオランダとは?
フェルメール《牛乳を注ぐ女》フェルメールは17世紀オランダの画家です。
ルネサンス以降、画家は王や教皇や貴族など時の権力者の庇護を受けていましたが、17世紀オランダだけは例外でした。
オランダは、スペインからの独立戦争を経て、王や貴族に支配されない共和制国家となったからです。
当時のオランダは、東インド会社を通してアジア貿易を独占し、経済的繁栄を享受しました。
鎖国時代の日本とヨーロッパで唯一貿易を行っていたのもオランダです。
オランダ黄金時代と呼ばれたこの時期、経済力を背景に中産階級が増加し、絵画や織物や陶磁器やチューリップなどの消費財が大量に流通しました。
宗教改革によって教会の支配からも逃れられたオランダでは、商売を通じてお金を持った中産階級が権力を握ったのです。
彼らが買い求めたものの一つが絵です。
1640年からの20年間に、オランダでは130万枚以上の絵画が制作されました。
当時のオランダでは、「多少でも生活に余裕があれば絵を飾らぬ家はない」と言われるほど絵画の所有が流行しました。
フェルメールが住んでいたデルフトでは、全世帯の3分の2が何らかの絵画を所有していて、その平均枚数は11枚もありました。
一般の市民が絵画の需要を担ったという意味で、17世紀オランダはとても現代的でした。
そして絵を飾る場所が教会から自宅へと変わるにしたがって絵のサイズも小さくなり、その絵を市場で取り扱う画商が誕生しました。
フェルメールは画家だけでなく画商でもあった
フェルメール《デルフト眺望》宗教改革でプロテスタントが勝利した結果、宗教絵画の需要が激減したオランダでは、一般市民の需要にあわせた絵画が供給され、絵画市場が発達します。
当時の絵画の入手方法には、①直接画家から購入する、②居酒屋や宿屋での展示即売会で購入する、③青空市場で購入する、④競売で購入する、などがありました。
画家として名高いフェルメールは、父の経営していた宿屋を引き継いだ旅館業の経営者でもあり、自らの宿屋で絵画を販売する画商でもありました。
現存するフェルメールの作品点数が少ないのは、死後に忘れ去られて作品が散逸してしまったこともありますが、15人もの子どもを育てるために専業画家ではいられなかったからだと推測されています。
当時は、画家も画商も同じギルドに所属する同業者です。
正式な画家や画商として認められるためには、芸術家の守護聖人である聖ルカの名前をとって「聖ルカ組合」と名付けられたギルドに加入する必要がありました。
また、美術学校などがなかったので、画家になるには、聖ルカ組合所属の画家に弟子入りして最低2年間の修行期間を経る必要がありました。
この弟子入りには、600~700ギルダーを費用として師匠の画家に納めなければなりませんでした。
1ギルダーを現在の1万円として換算すると、2年間で600~700万円がかかることになります。ギルドが現在の美術学校のような教育機関として機能していたのです。
それだけの費用を支払ってでも画家を目指す人が絶えなかったのは、当時は絵がよく売れていたため、画家が人気の職業だったからでしょう。
ちなみに、フェルメールはデルフトの聖ルカ組合の理事に2度にわたって選出されるなど、画家としても画商としても高名でした。
フェルメールが忘れ去られた理由
フェルメール《窓辺で手紙を読む女》オランダは1672年の仏蘭戦争および英蘭戦争で大敗し、そこから経済的な衰退が始まります。
戦争勃発後、絵画を購入できるような余裕が市民にはなくなり、17世紀半ばから末にかけて、オランダの画家の数は4分の1に減少しました。
画家であり画商でもあったフェルメールも経済的に苦境に陥り、1675年に多額の負債を抱えて40代前半で亡くなってしまいます。
死後20年が経った1696年にフェルメールの絵画がまとめて競売にかけられたときには、風景画の大作《デルフト眺望》が200ギルダー、風俗画の《牛乳を注ぐ女》が175ギルダーなど、それなりの価格で売れています。
しかし、それから約1世紀の間、フェルメールは忘れられた画家となります。
どれくらい忘れられていたかといえば、フェルメール《窓辺で手紙を読む女》が、レンブラントの作品として売却されていたくらいです。
この絵は2021年に塗りつぶされた壁のキューピッドの絵が復元されて話題になりました。
絵が塗りつぶされた理由は、売却時にレンブラント風に見せるためだったと考えられています。
フェルメールが再評価された理由
フェルメール《真珠の首飾りの女》一般に、画家は死後に価格があがると思われていますが、それは一部の有名画家だけであり、たいていの画家は、時間が経つにつれてどんどん忘れられていきます。
なぜかといえば、生きている画家の人気は、新しい作品が供給されて流通して話題になることで保たれていることが多いからです。
亡くなった画家の作品は市場に出ることが少なくなりますし、業界には常に新しい画家が出てきますから、よほど有名な画家でない限り、死後は話題にのぼることがなくなり、そのうちに誰も知らない画家となってしまいます。
フェルメールもその一人でしたが、19世紀にフランス人批評家のトレ・ビュルガーが美術雑誌で激賞したことから再評価されて、現在のような人気画家となりました。
トレ・ビュルガーは、1842 年に訪れたオランダの美術館でフェルメールを発見しました。
《デルフト眺望》に感銘を受けた彼は、この無名の画家について調べはじめます。
トレ・ビュルガーは、ヨーロッパ各地の美術館やコレクション、そしてオランダの文書を調べ、フェルメールの作品を探しました。
こうして彼は、別の画家の作品であるとされていた絵画から、フェルメールの作品をいくつも発見したのです。
トレ・ビュルガーは見つけた作品を自分で購入し、高額な場合はスポンサーに頼んでコレクションに加えてもらいました。
トレ・ビュルガーは20年以上をかけてフェルメールの資料を集め、1866年にフランスの美術雑誌に、2つの長い論文と彼の所蔵作品のカタログを公開しました。
それに先立ってパリで開催されたオールドマスター回顧展で裏方として動いたトレ・ビュルガーは、11 点のフェルメール作品を展示することに成功しました。
そのうち 6 点は彼自身のコレクションで、《真珠の首飾りの女》も含まれていました。
トレ・ビュルガーはその3年後の1969年に亡くなりましたが、彼の献身的な努力によってフェルメールの名声は飛躍的に高まりました。
1892年にトレ・ビュルガーのコレクションが競売で売却されたとき、その売上の半分は11点のフェルメール作品からあがりました。
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