フォーヴィズムとは
フォーヴィズムとは|色彩と感情の自由な表現
フォービズムについて
モーリス・ド・ヴラマンク《村の道》 油彩15号
フォーヴィスムとは、20世紀初頭のフランスで、アンリ・マティスやアンドレ・ドランを中心に生まれた美術運動です。
実際の風景や人物が持つ色にとらわれず、赤、青、緑、黄色などの鮮やかな色彩を大胆に組み合わせ、力強い筆触と単純化した形によって画家の感覚を表しました。1905年頃に登場し、短い期間で終息しましたが、色彩を現実の再現から解放した運動として、20世紀美術に大きな影響を与えました。
一言で表すなら、フォーヴィスムは「見えた色ではなく、感じた色で描く絵画」といえるでしょう。
「フォーヴィスム」という名前の由来
ラウル・デュフィ 《ノルマンディーの海岸:ドーヴィルの港》リトグラフ 1961年
フォーヴィスムという名称が生まれたきっかけは、1905年にパリで開催されたサロン・ドートンヌです。 会場の第7室には、マティス、ドラン、モーリス・ド・ヴラマンク、アンリ・マンギャン、シャルル・カモワン、アルベール・マルケらの、鮮烈な色彩を用いた作品が展示されていました。 その部屋には、ルネサンス彫刻を思わせる古典的な彫刻も置かれていました。
美術批評家ルイ・ヴォークセルは、落ち着いた彫刻と激しい色彩の絵画との対照を見て、「野獣のなかのドナテッロ」と評しました。 この「野獣」を意味するフランス語の「フォーヴ」が、やがて画家たちとその作品を指す名称として定着しました。もともとは皮肉や批判を含む呼び名でしたが、後に美術史上の正式な名称として使われるようになったのです。
フォーヴィスムはいつの時代の美術なのか
アンリ・マティス《ヴェルヴ:なわとび(青)》 リトグラフ
フォーヴィスムが活動した年代は、資料によって多少異なります。狭い意味では、1905年から1907年頃までが最盛期です。広い意味では、画家たちがフォーヴィスム的な作品を制作していた1910年頃までを含めることがあります。
1904年頃 マティスが新印象派の技法を試しながら、色彩を中心とする新しい表現へ進み始める
1905年夏 マティスとドランが南フランスのコリウールで共同制作し、自然の色に縛られない鮮烈な作品を生み出す
1905年秋 サロン・ドートンヌへの出品をきっかけに「フォーヴ」という名称が生まれる
1906~1907年頃 ヴラマンク、デュフィ、ブラック、フリエスらがそれぞれフォーヴィスムを展開する
1907~1910年頃 セザンヌの再評価やキュビスムの登場を背景に、画家たちは異なる方向へ進み始める
特に重要なのが、1905年夏のコリウールです。マティスとドランは、この地の強い日差しや海、山、港を、現実とは異なる色彩に置き換えて描きました。この共同制作が、フォーヴィスムの本格的な出発点とされています。
フォーヴィスムはなぜ生まれたのか
モーリス・ド・ヴラマンク《オートフォーリー33》リトグラフ 1964年
印象派を越えようとした
印象派の画家たちは、自然の中で変化する光や色を観察し、その一瞬の見え方を描こうとしました。 フォーヴィスムの画家たちは、印象派の明るい色彩や自由な筆遣いを受け継ぎながらも、目の前に見える光を忠実に記録するだけでは不十分だと考えました。 そこで、自然に見える色よりも、画家が対象から受けた感覚や感情を表す色を重視するようになりました。空を黄色、川を赤、人物の顔を緑に描くことも、絵画として必要であれば認められたのです。
ゴッホ、ゴーガン、セザンヌからの影響
フォーヴィスムの成立には、ポスト印象派の画家たちが大きな影響を与えました。 フィンセント・ファン・ゴッホからは感情的で力強い筆触を、ポール・ゴーガンからは平面的な色面と現実にとらわれない色彩を、ポール・セザンヌからは形と画面構成に対する考え方を受け継ぎました。 とりわけヴラマンクは、1905年に開かれたゴッホの回顧展から強い衝撃を受けました。ヴラマンクの激しくうねる筆触や、赤、青、黄色を直接ぶつけるような色彩には、ゴッホの影響が表れています。 新印象派の色彩理論からの影響 マティスは、ジョルジュ・スーラやポール・シニャックらによる新印象派の色彩理論も学びました。 新印象派では、小さな色の点を規則的に並べ、見る人の目の中で色を混ぜ合わせる点描技法が使われました。マティスはその鮮やかな色彩対比を受け継ぎながら、規則的な点描から離れ、より自由で大きな筆触を用いるようになります。
フォーヴィスムの特徴
作家の来日イベントの様子
現実とは異なる色を使う
フォーヴィスムでは、「実際に何色だったか」よりも、「その色が画面の中でどのような効果を生むか」が重視されます。 人物の肌に緑や青を使ったり、川を赤やピンクにしたり、木の幹をオレンジや紫にしたりします。色は物の表面を説明するものではなく、画家の感情や画面のリズムを表す独立した要素になりました。 鮮やかな色を強く対比させる赤と緑、青と橙、黄色と紫など、互いを強く引き立てる色が隣り合わせに置かれます。 混色によって落ち着いた色をつくるのではなく、純度の高い色を並べることで、画面全体を明るく輝かせました。
フォーヴィスムが「野獣のようだ」と評された最大の理由も、この激しい色彩対比にあります。 筆の跡を隠さない 伝統的な絵画では、筆の跡を目立たせず、滑らかに仕上げることが重視される場合がありました。 これに対してフォーヴィスムの画家たちは、太く速い筆触、短い色の線、絵具の塊などをそのまま画面に残しました。筆の動きが見えることで、画家が描いたときの勢いや身体感覚が伝わります。
形を単純化する
人物や建物、木、山などの形は、細部を省略して大きく単純化されます。正確な陰影によって立体感をつくるよりも、輪郭線と平らな色面によって形を示す作 品が多くあります。そのため、画面の奥行きは浅くなり、人物や背景が一枚の装飾的な面としてつながって見えます。
身近な題材を新しい色で描く
フォーヴィスムで描かれた題材そのものは、風景、港、街並み、人物、室内、裸婦、静物など、伝統的なものが中心です。 題材を新しくしたというよりも、見慣れたものを、これまでにない色彩と筆遣いで描き直したことが重要でした。
印象派やキュビスムとの違い
フォーヴィスムが主に色彩の自由を追究したのに対し、キュビスムは主に形と空間の再構成を追究しました。ブラックがフォーヴィスムからキュビスムへ移った経緯は、この二つの運動の違いとつながりをよく示しています。
代表的な画家
アンリ・マティス《ヌジーの肖像》ペン、墨 1942年
アンリ・マティス
フォーヴィスムの中心的な画家です。激しい色彩を使いながら、画面全体の調和や安定感を重視しました。《帽子の女》《緑のすじのあるマティス夫人の肖像》《コリウールの風景》などが代表作です。
アンドレ・ドラン
マティスとともに1905年のコリウールでフォーヴィスムを確立しました。色彩は大胆ですが、構図には比較的強い秩序があります。ロンドンを鮮烈な色で描いた《チャリング・クロス橋》も有名です。
モーリス・ド・ヴラマンク
激しい筆触と原色に近い色彩によって、衝動的で力強い風景画を描きました。ゴッホから特に強い影響を受けています。 ラウル・デュフィ 1905年以降、マティスらの影響を受けて明るい色面を使うようになりました。海岸、街路、旗や広告のある風景を、軽快で装飾的に描きました。
ジョルジュ・ブラック
キュビスムの創始者として知られますが、その前にはフォーヴィスムの風景画を制作していました。1907年以降、セザンヌの影響を強め、ピカソとともにキュビスムへ進みます。
アルベール・マルケ
マティスとともに学び、1905年のサロン・ドートンヌにも参加しました。他の画家より比較的穏やかな色彩で、港や都市の風景を簡潔に描きました。
キース・ヴァン・ドンゲン
強い輪郭線と鮮やかな色彩による人物画で知られます。パリの女性、夜の娯楽、社交界などを華やかに描きました。フォーヴィスムとドイツ表現主義を結ぶ存在でもありました。
このほか、アンリ・マンギャン、シャルル・カモワン、オトン・フリエス、ジャン・ピュイらもフォーヴィスムに参加しました。ジョルジュ・ルオーも関連づけられますが、太い黒線と宗教的・社会的な主題による独自の表現を発展させたため、フォーヴィスムとは別に扱われることもあります。
フォーヴィスムはなぜ短期間で終わったのか
ジョルジュ・ルオー《白い服の女性》水彩・油彩 1904/1940年-
フォーヴィスムは、統一された理論や規則、宣言文を持つ正式な芸術団体ではありませんでした。
色彩に対する共通した関心はありましたが、それぞれの画家が求める表現は異なっていました。 1907年頃になると、セザンヌの作品が改めて注目され、画家たちの関心は色彩だけでなく、形や構造へ向かいます。 ブラックはピカソとともにキュビスムを生み出し、ドランは次第に古典的な表現へ移り、デュフィは装飾芸術や独自の軽快な画風を発展させました。マティスも鮮やかな色彩を使い続けましたが、やがてフォーヴィスムという集団の枠を越え、独自の芸術を追究していきました。
そのため、フォーヴィスムは誰かが解散を宣言して終わったのではなく、画家たちがそれぞれ別の方向へ進んだことで自然に終息した運動と考えられます。
美術市場の意義
ラウル・デュフィ《ノルマンディーの海岸:ドーヴィルの港》リトグラフ 1961年
フォーヴィスムの最大の意義は、色彩を物の固有色から解放したことです。
それまでの絵画では、色は人物や物、自然を本物らしく見せるために使われることが基本でした。フォーヴィスムでは、色そのものが感情、空間、リズム、構図を生み出す主要な要素になりました。 この考え方は、ドイツ表現主義やカンディンスキーらの抽象絵画へつながります。
現実の色を再現しなくても、色と線だけで感情や精神的な世界を表せるという可能性を、フォーヴィスムが示したからです。 活動期間は短かったものの、フォーヴィスムは20世紀フランスに登場した最初期の前衛美術運動であり、近代絵画における色彩の役割を根本から変えました。
日本美術への影響
アンリ・マティス《ヴェルヴ:黄色い背景のヌード》リトグラフ 1958年
フォーヴィスムは、日本の近代洋画にも広い影響を与えました。
1910年代、日本では文芸雑誌『白樺』などを通して、マティス、ゴッホ、ゴーガンをはじめとするヨーロッパの新しい美術が紹介されました。若い画家たちは、図版や記事を通して鮮烈な色彩や自由な筆遣いを学びました。 その代表的な画家が萬鐵五郎です。1912年の卒業制作《裸体美人》には、ゴッホやマティス、フォーヴィスムからの影響が指摘されています。同年、萬や岸田劉生らは、新しい美術を目指すフュウザン会を結成しました。 フォーヴィスムの影響は、特定の画家や団体だけに限られず、明るく強い色彩、激しい筆触、画家の個性を重視する姿勢として、大正期以降の日本洋画に広がりました。
フォーヴィスム作品の見方
ジョルジュ・ルオー《流れる星のサーカス:黒いピエロ》銅版画 1938年
最も現実離れした色を探す
最初に、実際の風景や人物とは異なる色を探します。 顔の緑、川の赤、木の紫など、その色がなぜ選ばれたのかを考えてみましょう。写実的には不自然でも、周囲の色との関係を見ると、画面をまとめる重要な役割を果たしていることがあります。
隣り合う色を見る
フォーヴィスムでは、一つ一つの色よりも、色同士の関係が重要です。 赤と緑、青と橙など、強く対立する色がどこに置かれているかを見ると、画面が輝いて見える仕組みが分かります。
筆の動きを追う
筆触の方向、長さ、太さを目でたどってみます。短い線が水面の揺れを表したり、斜めの筆触が山や道の動きを強めたりしています。 色だけでなく、筆の動きも画面のリズムをつくっています。
描かれた形と色を分けて見る
「何が描かれているか」を確認した後に、対象を忘れて色面として眺めてみます。 人物や風景として見るだけでなく、赤、青、緑の形がどのように配置されているかを見ると、フォーヴィスムが抽象絵画へつながった理由を理解しやすくなります。
よくある疑問
作家の来日イベントの様子
Q.フォーヴィスムは、ただ派手な色を使う画風ですか?
鮮やかな色彩は大きな特徴ですが、単に派手にすることが目的ではありません。 現実の色から離れることで、画家の感情や感覚を表し、色同士の関係によって画面を構成し直したことが重要です。形の単純化、平面的な空間、大胆な筆触もフォーヴィスムの特徴です。
Q.「野獣派」ということは、恐ろしい絵を描いたのですか?
必ずしもそうではありません。 「野獣」という呼び名は、作品の主題ではなく、当時としては非常に激しく見えた色彩と筆遣いに対して付けられたものです。南フランスの海辺や港、室内、人物など、明るく穏やかな題材も数多く描かれています。
Q.フォーヴィスムと表現主義は同じですか?
共通点はありますが、同じ運動ではありません。どちらも現実にとらわれない色彩や形によって内面を表しましたが、フォーヴィスムは主にフランスで発展し、色彩の調和や装飾性を重視する傾向があります。ドイツ表現主義では、不安、孤独、社会への批判など、より緊張感の強い主題が目立ちます。両者は同じ1905年頃に登場し、ヴァン・ドンゲンなどを通して交流もありました。
Q.フォーヴィスムは抽象画ですか?
多くの作品は、人物、風景、静物など、現実の対象を描いた具象画です。ただし、色が現実の対象から独立し、形も単純化されたことで、色と線だけで成立する抽象絵画への道を開きました。
Q.ピカソもフォーヴィスムの画家ですか?
一般的には、ピカソはフォーヴィスムの画家には含まれません。一方、後にピカソとともにキュビスムを生み出したジョルジュ・ブラックは、1906年から1907年頃にフォーヴィスムの作品を制作していました。
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