印象派とは?
写真家ナダールのアトリエ
出典:Wikipedia
「印象派」という名前は、クロード・モネの作品《印象・日の出》に由来します。 1874年4月、モネ、ルノワール、ドガ、ピサロ、シスレー、ベルト・モリゾらは、パリのカピュシーヌ大通り35番地にあった写真家ナダールの旧アトリエで、自分たちによる展覧会を開きました。公式の審査員や画商を介さず、作家自身が作品を選んだ独立展で、31人の芸術家による約200点が展示されました。この展覧会に、モネは1872年にル・アーヴルの港を描いた《印象・日の出》を出品しました。批評家ルイ・ルロワは、同作品の題名をもとに彼らを「印象主義者」と呼び、完成した絵というより単なる「印象」にすぎないと皮肉りました。もともとは批判的な呼び名でしたが、やがて画家たち自身も受け入れ、美術運動の名称として定着しました。ただし、第1回展に参加した芸術家全員が同じ画風だったわけではありません。彼らを結びつけていたのは統一された理論よりも、公式の制度に頼らず、自由に作品を発表したいという意思でした。
印象派の表現は1860年代から形づくられ始めましたが、集団としての中心的な活動期間は、第1回印象派展が開かれた1874年から、最後の第8回展が開かれた1886年までです。 主な出来事 1860年代 モネ、ルノワール、シスレー、バジールらが戸外制作や明るい色彩を試みる 1874年 ナダールの旧アトリエで第1回独立展を開催。《印象・日の出》が出品される 1877年 第3回展で、画家たちが「印象派」という呼称を積極的に掲げる 1886年 第8回展が開かれ、印象派グループとしての展覧会活動が終わる 1880年代以降 画家たちはそれぞれ異なる方向へ進み、印象派を越えた新しい表現が生まれる 印象派展は1874年から1886年までに計8回開かれましたが、参加者は毎回同じではありませんでした。 カミーユ・ピサロは全8回に参加し、ベルト・モリゾは7回参加しています。セザンヌやゴーガンなど、後に印象派とは異なる画風を確立する画家も展覧会に加わりました。 したがって、印象派は一つの固定された団体というより、1870年代から1880年代のパリを中心に、作品発表の場と新しい絵画表現を共有した、流動的な芸術家の集まりとして理解するのが適切です。
出典:Wikipedia
公式展覧会「サロン」への反発
19世紀のフランスで画家として成功するためには、国家が関わる公式展覧会「サロン」への入選が重要でした。 サロンでは審査員が作品を選び、歴史、宗教、神話を扱った大画面や、筆跡を残さず滑らかに仕上げた作品が高く評価される傾向にありました。落選すれば作品を一般に見てもらう機会が大幅に減り、販売や注文にも影響しました。 印象派の画家たちは、審査員の価値観に左右されず、自分たちで作品を選び、展示し、販売するために独立展を組織しました。すべての参加者がサロンと完全に決別していたわけではありませんが、1874年の展覧会は、画家が自ら発表の方法を決めるという点でも画期的でした。
急速に変化するパリを描こうとした
19世紀後半のパリでは、広い大通り、公園、鉄道、駅、劇場、百貨店、カフェなどが整備され、人々の生活や余暇の過ごし方が変化していました。 印象派は、こうした新しい都市の姿を積極的に描きました。街を歩く人々、カフェに集まる客、劇場の観客、バレエの踊り子、舟遊び、競馬、郊外の行楽地など、それまで大画面の絵画では重視されにくかった日常生活が、主要な主題となったのです。
チューブ入り絵具と鉄道の普及 印象派の戸外制作を支えたのが、持ち運びやすいチューブ入り絵具や携帯用画箱の普及です。 それ以前は、画家が顔料と油を混ぜて絵具を準備する必要がありました。市販のチューブ入り絵具によって、さまざまな色を屋外へ持ち出し、その場で制作しやすくなりました。また、鉄道網の発達により、画家たちはパリからセーヌ川沿いやノルマンディー地方などへ移動できるようになりました。
写真や日本の浮世絵からの刺激
写真の登場は、絵画の構図にも新しい可能性をもたらしました。 画面の端で人物が切れていたり、中心が空いていたり、高い位置から見下ろしていたりする、写真のスナップのような構図が使われるようになります。また、当時フランスで人気を集めた日本の浮世絵からも、平面的な色面、大胆な余白、左右非対称の構図、斜め上からの視点などの刺激を受けました。
一瞬の光と大気を描く
印象派が最も重視したものの一つが、時間とともに変化する光です。 同じ建物や風景であっても、朝と夕方、晴天と曇天、夏と冬では、色も輪郭も違って見えます。印象派の画家たちは、物の変わらない形を正確に説明するより、その瞬間に光がどのように反射し、空気がどのように見えたかを表そうとしました。 モネやピサロが同じ場所を異なる時刻や天候で繰り返し描いたのも、光によって見え方が変化することを追究するためでした。ピサロは1897年、モンマルトル大通りを、朝、夕方、雪、雨、霧、夜などの条件で14点描いています。
筆の跡を残す
伝統的なアカデミック絵画では、筆の跡を目立たなくし、表面を滑らかに仕上げることが重視されました。 これに対して印象派の画家たちは、短い筆触、点や線のような色、絵具の盛り上がりなどを画面に残しました。近くでは色の断片に見えても、少し離れると、それらが光、水面、葉、群衆などとしてまとまって見えます。筆触が見えるため、当時の批評家には「未完成」「下描きのようだ」と受け取られました。しかし、これは単なる手抜きではなく、一瞬の視覚や描く行為の新鮮さを保つための意図的な表現でした。
明るい色彩と「色のある影」
印象派の画面では、黒や褐色を中心とした暗い色調よりも、青、緑、黄、橙、紫などの明るい色が多く使われます。 影も黒一色で塗るのではなく、空や周囲の物から反射した青、紫、緑などを含む色として表されました。また、青と橙のような補色を隣り合わせに置き、互いの色を鮮やかに見せる方法も用いられています。
戸外で制作する
モネ、ルノワール、ピサロ、シスレーらは、カンヴァスと絵具を屋外へ持ち出し、風景を前にして制作しました。この方法はフランス語で「アン・プレネール」、日本語では「戸外制作」と呼ばれます。 ただし、印象派の作品がすべて屋外で描かれたわけではなく、すべてが短時間で完成したわけでもありません。現地で得た感覚をもとに、アトリエで構成を整えたり、複数回にわたって描き直したりすることもありました。ドガは特に、戸外風景よりも劇場、バレエの稽古場、カフェなどの室内を好みました。したがって、戸外制作は印象派の重要な特徴ではありますが、全員に共通する絶対的な条件ではありません。
現代の生活を描く
印象派が描いたのは、光に満ちた田園風景だけではありません。 パリの大通り、鉄道駅、工場の煙、劇場、カフェ、舞踏会、競馬場、海水浴場など、近代都市の生活が重要な題材となりました。ドガやカイユボットは労働する人々を、モリゾやカサットは女性の日常生活や家庭、劇場、親子の姿などを描いています。それまで価値の低い題材と考えられることもあった、何気ない日常の場面を、現代を象徴する重要な主題として扱ったことが印象派の革新の一つでした。
写真のような構図を使う
人物を画面の中央に整然と配置するのではなく、あえて端で切ったり、斜めの線を強調したり、見下ろすような視点を採用したりします。 そのため印象派の作品には、偶然目に入った一場面を切り取ったような感覚があります。写真や浮世絵の構図からの影響も指摘されていますが、実際には画家が慎重に計算して組み立てた作品も少なくありません。
クロード・モネ
印象派の中心的な画家。水面や霧、雪、庭などに移ろう光を追究し、同じ対象を異なる時刻や天候で描く連作も制作しました。
ピエール=オーギュスト・ルノワール
人物、舞踏会、舟遊びなど、明るい社交や余暇の場面を好みました。木漏れ日や人肌に反射する光を、柔らかな色彩で表しました。
エドガー・ドガ
バレエの踊り子、競馬、カフェ、入浴する女性などを描きました。戸外制作よりも、人物の動きや写真のような構図を重視しました。
カミーユ・ピサロ
農村や畑、働く人々、パリの大通りを描きました。印象派展の全8回に参加した唯一の画家であり、仲間をまとめる役割も担いました。
アルフレッド・シスレー
川辺や橋、雪景色、洪水などの風景を中心に制作しました。人物よりも、天候や季節による自然の変化に関心を向けました。
ベルト・モリゾ
印象派を組織した中心人物の一人。家庭や庭、女性や子どもの姿を、明るい色彩と軽やかな筆触で描きました。
メアリー・カサット
アメリカ出身で、1879年から印象派展に参加しました。劇場の女性や読書、母と子など、女性の日常を重要な主題にしました。
ギュスターヴ・カイユボット
大通りや室内を、鋭い遠近法や大胆な構図で描きました。画家であると同時に、印象派の展覧会や仲間を支えた収集家・支援者でもありました。
印象派の画家たちは一様ではなく、風景を中心とするモネやシスレー、人物と動きを研究したドガ、家庭生活を描いたモリゾやカサットなど、それぞれ異なる関心や表現を持って活動しました。 Q.マネは印象派なのか?
エドゥアール・マネは、印象派に大きな影響を与えた画家ですが、印象派展には一度も参加していません。 マネは、神話や歴史ではなく同時代の人物や生活を描き、平面的な色彩と大胆な筆触を用いることで、若い画家たちの重要な先駆者となりました。モネ、ルノワール、ドガ、モリゾらとも交流していましたが、自身は公式のサロンで評価されることを望み、独立展への参加を断りました。 そのため、マネはしばしば印象派と一緒に紹介されますが、厳密には「印象派の画家」というより「印象派への道を開いた画家」と説明するのが分かりやすいでしょう。
モネ《印象・日の出》
1872年、モネが故郷ル・アーヴルの港を描いた作品です。霧の中に船や煙突がぼんやりと浮かび、中央には鮮やかな橙色の太陽が置かれています。港の建物や船を細かく説明するのではなく、朝の光や霧、水面の反射を中心に表現しました。
1874年の第1回印象派展に出品され、批評家が「印象派」という名称を生み出すきっかけとなった、運動を象徴する作品です。
ルノワール《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》
1876年、パリ・モンマルトルの野外ダンスホールを描いた作品です。木漏れ日と人工照明が人々の服や顔の上で揺れ、踊る人、語り合う人、飲食を楽しむ人々が画面いっぱいに広がります。一人ひとりを細密に描くよりも、群衆の動きと明るくにぎやかな雰囲気が重視されています。
1877年の印象派展に出品され、近代パリの余暇と光を描いた印象派の代表作となりました。
ドガ《バレエのレッスン》
ドガが繰り返し取り上げた、バレエの稽古場を題材とする作品です。舞台上の華やかな公演ではなく、踊り子たちが体を伸ばしたり、衣装や髪を整えたりする練習の合間の自然な姿が描かれています。高い位置から斜めに見下ろす構図や、大きく取られた床によって、偶然切り取られたような画面が生み出されています。
ドガの作品は、印象派が風景や自然光だけではなく、都市生活や人工照明、人物の動きも重要なテーマとしていたことを示しています。
モリゾ《ゆりかご》
1872年に制作され、1874年の第1回印象派展に出品された作品です。モリゾの姉エドマが眠る娘を見守る姿を描いています。ゆりかごの薄いカーテンや、母と子を結ぶ斜めの構図、白や淡い色彩による軽やかな筆触によって、親密で穏やかな空間が表現されています。
モリゾは第1回印象派展に参加した最初の女性画家であり、《ゆりかご》は、家庭や育児も近代生活を表す重要な主題であることを示した代表作です。
アカデミック絵画
歴史・神話・宗教などを主題とし、理想化された人物や物語を滑らかな筆致で描きました。完成度の高い表現が重視され、19世紀を通じて美術界の主流となっていました。
印象派
1860年代末から1880年代にかけて発展しました。一瞬の光や色彩、近代都市や自然の風景を、素早い筆触と明るい色彩で表現したことが特徴です。完成された物語よりも、その瞬間に見えた印象を描くことを重視しました。
新印象派
1880年代以降、ジョルジュ・スーラやポール・シニャックらが発展させた様式です。印象派の明るい色彩を受け継ぎながら、純色の小さな点や短い線を規則的に配置し、見る人の目の中で色が混ざる「視覚混合」の効果を追究しました。印象派の自由な筆触とは異なる、理論的な表現が特徴です。
ポスト印象派
1880年代以降に登場した多様な芸術家を指す総称です。印象派が追究した光や視覚表現を出発点としながら、セザンヌは形と構造、ゴッホは感情豊かな色彩と力強い筆触、ゴーガンは象徴性や平面的な色面へと発展させ、それぞれ独自の表現を築きました。
印象派、新印象派、ポスト印象派は互いに関連していますが、それぞれ目指した表現は異なります。印象派が「一瞬の見え方」を描いたのに対し、新印象派は色彩を科学的に分析し、ポスト印象派は画家自身の個性や感情、構成をより重視するようになりました。
現在では親しみやすく美しい作品として人気がありますが、登場した当時の印象派は非常に急進的に見えました。 筆の跡が残っているため未完成に見える、人物の形が曖昧である、色が現実と違う、構図が不安定である、日常生活の題材が大画面の絵にふさわしくない、といった批判を受けました。第1回展の作品は、その新しい様式と題材によって強い反発を引き起こしました。しかし、印象派の画家たちにとって、細部を均一に描き込むことは必ずしも現実的ではありませんでした。人の目は、動く群衆や風景の中にある葉を、一枚ずつ同じ鮮明さで見るわけではありません。色と光のまとまりとして見える視覚体験を絵画に取り入れたことが、印象派の革新だったのです。
近くと遠くの両方から見る
近くでは、短い線や色の塊、絵具の盛り上がりを観察してみましょう。少し離れると、それらが水面や木々、人物、光の反射として一つの情景に見えてきます。印象派では細部を輪郭線で描くのではなく、色彩の重なりによって形を表現するため、見る距離によって印象が大きく変わります。
最も明るい場所と暗い場所を探す
太陽そのものだけでなく、水面や建物、服、雪、雲など、光を反射している場所にも注目してみましょう。また、影の中に黒以外の青や紫、緑などの色が使われていないかを見ると、印象派の画家が光と色彩をどのように捉えたかが分かります。
時刻と天候を想像する
朝なのか夕方なのか、晴天なのか曇天なのか、あるいは霧が立ち込めているのかなど、画面全体の空気を感じ取ってみましょう。印象派では、描かれた対象そのものよりも、その場を包む光や季節、天候が重要なテーマとなっています。
画面から切れた人物や物を見る
人物の体が画面の外へ切れていたり、手前の物が大胆に省略されていたりすることがあります。こうした構図に注目すると、写真や日本の浮世絵から影響を受けた、瞬間を切り取るような表現を見つけることができます。
当時の「新しいもの」を探す
鉄道や鉄橋、ガス灯、電灯、大通り、カフェ、流行の衣服など、19世紀の人々にとって新しかったものにも目を向けてみましょう。印象派の作品は、美しい自然だけでなく、急速に近代化する社会や人々の暮らしを記録した作品としても楽しめます。
印象派展への参加者は、回を重ねるごとに変化しました。画家たちの間では、どのような作品を出品者として認めるか、サロンとどのような関係を築くか、写実性や色彩表現をどこまで重視するかなどについて考え方が分かれていきました。モネやルノワールが途中から展覧会に参加しなくなる一方、スーラやゴーガンなどの若い画家が加わり、印象派展の性格も次第に変化していきます。
1886年に開かれた第8回印象派展を最後に、グループとしての印象派展は終了しました。しかし、印象派の表現が突然なくなったわけではありません。モネ、ピサロ、ルノワール、ドガらはその後も制作を続け、それぞれ独自の画風へと発展していきました。印象派は誰かが終わりを宣言した運動ではなく、画家たちがそれぞれ異なる方向へ進んだことで、集団として自然に解体した芸術運動だったといえます。
印象派は、美術の価値観そのものを大きく変えました。それまで重視されていた歴史画や神話画だけでなく、画家が目の前の世界をどのように見て、どのように色や筆触で表現したかが作品の重要な価値となります。また、名もない市民の日常や余暇も、美術の重要な主題として認められるようになりました。
その後、セザンヌ、ゴッホ、ゴーガン、スーラらは印象派の成果を受け継ぎながら、それぞれ形や構造、感情表現、象徴性、科学的な色彩理論へと発展させました。こうした流れは、フォーヴィスム、表現主義、キュビスム、抽象絵画など20世紀美術の誕生へとつながり、印象派は近代美術の出発点の一つとして今日も高く評価されています。
よくある疑問
印象派は、ぼんやりした絵を描く画風ですか?
輪郭が曖昧に見える作品はありますが、単にぼかしているわけではありません。光や空気の中では、物の輪郭が常にはっきり見えるとは限らないため、印象派は細部を均一に描くのではなく、色彩や筆触によって、その瞬間に見えた視覚体験を表現しました。
印象派の絵はすべて屋外で描かれたのですか?
いいえ。モネ、ピサロ、シスレーらは戸外制作を重視しましたが、ドガは劇場や稽古場などの室内を多く描きました。モリゾやカサットも家庭や劇場の場面を重要な主題としています。また、戸外で制作を始めた作品をアトリエで仕上げることもありました。
印象派は風景画だけですか?
いいえ。風景画は重要な分野でしたが、人物画、肖像画、家庭生活、都市風景、労働、劇場、舞踏会、競馬など、19世紀の幅広い生活が題材となりました。
印象派と点描は同じですか?
同じではありません。印象派は自由で変化に富んだ筆触によって光や色彩を表現しました。一方、スーラやシニャックによる新印象派は、小さな純色の点や線を規則的に配置し、見る人の目の中で色が混ざる光学的な効果を追究しました。
モネとマネは同じ人物ですか?
別の画家です。クロード・モネは《印象・日の出》を描いた印象派の中心人物です。エドゥアール・マネは印象派の画家たちに大きな影響を与えた先駆者ですが、印象派展には参加していません。
セザンヌやゴーガンも印象派ですか?
二人とも印象派展への参加経験がありますが、一般的には後の独自の表現を重視し、ポスト印象派の画家として紹介されます。セザンヌは形や構造、ゴーガンは象徴性や平面的な色彩表現へと発展させました。
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