創業30年の信頼と実績
ピカソ 絵画買取で失敗したくない方

ピカソの売却をご検討でしたらまずは翠波画廊の査定額をお確かめください。

選ばれている理由

翠波画廊ではピカソの作品は人気がありとてもよく売れています。当画廊のお客様でピカソの特定の作品を探してほしいとのご依頼も多くいただいております。
そのため当画廊の絵画買取サイトではピカソの絵画(油彩・水彩・グワッシュ・版画・セラミック)の買取には特に力を入れております。
翠波画廊の買取サイトが、お客様の大切のされていた作品を気に入ってくださり大切にしてくださる次のお客様のもとへと橋渡しさせていただきます。

絵画買取の流れ

STEP1

無料査定お申込み

査定フォーム、お電話、メールで作品の情報をお寄せください。

STEP2

査定結果のご連絡

お送り頂いた作品情報から、査定額をお出しして、ご連絡いたします。

STEP3

買取方法の選択

作品の配送、持ち込み、出張買取にて作品をお預かり。最終的な作品の確認をいたします。

STEP4

お支払い

買取成立、現金またはお振込にてお支払い。
買取の流れ 詳細

3つの約束

約束

1

小売りで培った、
まごころの接客

絵をお買い求めいただくお客様、絵をお売りになりたいお客様共にご満足いただけるよう、お客様第一で活動しております。

約束

2

長年の実績から
相場に基づいた適正な査定

年間1500点ほどの作品を販売していく中で同数の作品の仕入れを行っております。仕入れで養った相場観をいかして適正な査定価格を出させていただきます。

約束

3

大切にされてきた
作品を
次のお客様へと橋渡し

家で大切にされてこられた美術品を大切にしてくれる次のお客様へと橋渡しさせていただきます。

3つの安心

安心

1

ご相談、
お見積もりなど、
査定は無料

今の相場を知りたい、買取価格を知ってから売却を検討したい等、お気軽にご相談ください。ご相談は無料です。

安心

2

8日以内なら
キャンセル可能
(出張買取時)

8日以内でしたら、買取キャンセル、返品の対応をさせていただきます。(店頭買取の場合は対象となりません)

安心

3

個人情報保護
セキュリティ管理

翠波画廊では、しっかりとしたセキュリティ管理のもと、お客様の大切な個人情報の徹底管理を義務付けております。ご安心ください。

ピカソ作品の査定ポイント

近年、世界的な人気が非常に高い状態は続いておりますが、価格は市場相場に応じて変動しております。少し時間が経っただけで変化してしまう可能性もございますので、お売りになる場合は、お早めにご相談ください。

油彩、パステルなど肉筆作品の査定ポイント

パステル作品

ピカソにかぎらず買取価格や作品相場は図柄によって大きく変わってきます。
多種多様なモティーフを描いた作品の中でも、闘牛のほか、女性など、人物を描いた作品は人気もあり一般的に相場も高く、高価買取させていただきます。
油彩の場合、画面上にヒビや割れなどがないかを見させていただきます。状態が悪い場合は修復が必要となる場合もあり、そうなると査定額は下がってしまいます。
また、ピカソ作品には贋作も多く、翠波画廊ではピカソの肉筆作品は、ピカソの鑑定家、クロード・ピカソの鑑定書が付いているものを取り扱っています。買取を希望されているピカソ作品に鑑定書が付いていない場合は翠波画廊が鑑定書を取るためのお手伝いをいたします。もし、鑑定書が付いていなくても鑑定書が取れた場合の現在の相場、買取価格をお伝えいたしますので気軽にご相談ください。

<特に高価買取対象図柄>

・闘牛、女性、銃士、鳩など

<保存状態>
画面上にヒビや割れなどがないかを拝見します。 状態が悪い場合は修復が必要となる場合もあるため、査定額が下がります。

版画作品の査定ポイント

版画作品

モチーフについては、油絵と同じく、人物画や闘牛はもちろん人気もあり、相場・買取価格が高くなります。
翠波画廊では版画も高価買取させていただいておりますが、版画作品の場合、経年による色の退色、湿気からくるカビでシミが出てしまった場合などマイナスの査定になってしまいます。画像をお送りいただいた段階で、色の退色はおおよそみることができるのですが、薄いシミなどは画像だけでは分からないことがあります。
画像をお送りいただいた段階では相場をお知らせし、問題が無ければそのお値段で買取させていただいておりますが、現品を拝見してシミなどが見つかった時には価格が下がってしまうこともございます。

右下にサイン、
左下にはエディションが入っています

<高価買取対象図柄一例>
闘牛、女性、ピカソの自筆サインが入った作品

<技法>
リトグラフ、銅版画、木版画など

<保存状態>
折れや汚れ、経年による退色や、湿気からくるカビでシミが出てしまった場合などは価格が下がります。

ピカソ作品の作品登録・照会機関

クロード・ピカソ鑑定証

ピカソは生前から人気が高く、その分贋作も多く出回っています。
翠波画廊では、油彩、水彩、素描などの肉筆画は、ピカソの鑑定家、クロード・ピカソの鑑定書が付いているものだけを取り扱い、ご紹介しています。

翠波画廊では、ピカソ作品の販売も行っております。
ピカソの絵画・版画作品のご購入をお考えの方は、お気軽にご相談ください。販売作品一覧はこちら

パブロ・ピカソ 略歴

PABLO PICASSO

1881年パブロ・ピカソ、スペインのアンダルシア地方マラガに生まれる(10月25日)。父、ドン・ホセ・ルイス・ブラスコはサンテルモ工芸学校の図画教師。母、マリア・ピカソ・ロペスはアンダルシア出身。
1891年父の教えるダ・グワルダ美術工芸学校に通う。
1895年バルセロナで父が教えていたラ・リヨンハ美術学校に入る。
1897年マドリッドの美術展で「科学と恩寵」が受賞。最初の個展。マドリッドのサン・フェルナンド王立美術学校上級に入学。
1900年ピカソ、最初のパリ旅行。画商マニャックと契約。
1901-04年青の時代
1901年2度目のパリ旅行。ロートレック、スタンランの影響をうける。ヴォラール画廊で個展。この頃から”Picasso”のサインをするようになる。
1902年3度目のパリ旅行。パリのベルト・ウェール画廊で個展。ヴォラール画廊で個展。
1904-07年バラの時代
1904年4度目のパリ滞在。モンマルトルの「バトー・ラヴォワール(洗濯船)」に住む。銅版画「曲芸師(レ・サルタンバンク)」シリーズの制作をはじめる。
1905年ピカソ、アポリネールと会う。ガートルード・スタインやシチューキンなど何人かの蒐集家があらわれる。
1906年アンリ・マティスと会う。
1907年ブラック、ドランと会う。
「アヴィニョンの娘たち」完成。画商ダニエル・ヘンリー・カーンワイラーと契約をむすぶ。セザンヌの回顧展に感銘をうける。
1909-18年キュビズムの時代
1909年クリシー通りに移る。分析的キュビスムの作品を制作。ドイツで最初の個展。
1911年パブロ・ピカソ、ニューヨークで最初の個展。
1912年イギリスで最初の個展。コラージュの制作をはじめる。
1918-25年新古典主義の時代
1922年第1回シュールレアリスム展に出品。
1930年「ピカソ夫人像」がカーネギー賞を受ける。ヴォラール・シリーズの版画を制作しはじめる。37年完成。
1931年ロンドンで「ピカソの30年」展。
1932年パリとチューリッヒでピカソ大回顧展。
1936年スペインに内乱勃発、ピカソは人民戦線を支持し、プラド美術館館長となる。ドラ・マールと交際をはじめる。
1937年「フランコの夢と嘘」を刊行。グラン・ゾーギュスタン通りにアトリエをもつ。「ゲルニカ」を制作し、パリ万国博のスペイン館に展示。
1939年ニューヨーク近代美術館で「ピカソ芸術の40年」展。
1942年ビュフォンの「博物誌」の挿画制作。
1944年サロン・ドートンヌに戦争中の作品を発表。ピカソ共産党に入党。
1945年ピカソ、リトグラフに熱中。この頃から南仏に長く滞在する。
1946年ヴァロリスで陶器をはじめる。
1950年ヴェネチア・ビエンナーレで特別陳列。「鳩」のポスターを制作。
1951年東京で初のピカソ展。
1952年「戦争と平和」を制作。
1953年ローマ、ミラノ、リヨン、サンパウロで大回顧展。フランソワーズと別れる。
1954年「アルジェの女たち」を制作。
1955年カンヌへ移る。パリとミュンヘンで大回顧展。
1956年同じくケルンとハンブルグで大回顧展。ロンドンで「ピカソの版画50年」展。
1957年ニューヨーク近代美術館で「ピカソ75歳記念」展。神奈川県立近代美術館でピカソ版画展。
1958年パリのユネスコ会館に「堕天使」を制作。リノカット版画をはじめる。
1959年べラスケスに基づく「ラス・メニーナス(宮廷の女官たち)」を発表。
1960年ロンドンで大回顧展。
1961年東京でのピカソ版画展。「草上の食事」を発表。
1962年ニューヨークで、ピカソ80歳記念展。東京で「ゲルニカ」展。
1964年カナダのトロントとモントリオールで「ピカソと人間」展。「画家とモデル」「サビヌの女の掠奪」を発表。東京、京都、名古屋で大回顧展。
1966年パリで85歳の記念大回顧展。ロサンゼルスで「ピカソ版画の70年展」。
1967年ロンドンとニューヨークで彫刻と陶器展。シカゴのシヴィック・センターにモニュメントを制作。
1968年「347点の銅版画」展がパリ、トロント、シカゴで開催。
1969年同展、日本、ロサンゼルス、等で開催。ピカソの帰国と「ゲルニカ」の展示を要請したスペイン政府に対して、拒否を声明。
1970年バルセロナのピカソ美術館に約900点の作品を寄贈。ミュンヘンで版画展。ニューヨークで大版画展。アヴィニョンで近作展。東京、大阪、名古屋で「ピカソ、100点のエロチカ」展。
1971年東京、大阪等で「ピカソ、女性たち」展。
1972年ロンドン、パリ、ニューヨーク各地で「オマージュ・ア・ピカソ」展開催。
1973年4月8日朝アルプ・マルチーム県ムージャンのノートルダム・ド・ヴィの自宅で死去。遺骸はヴォーヴナルグ城の庭に埋葬される。

ピカソの絵はなぜ高値で売買されるのか?

ピカソの作品はおよそ15万点ある

2017年、レオナルド・ダ・ヴィンチの《サルバトール・ムンディ》が約4億5030万ドル(日本円換算約508億円)という過去最高額で落札されました。
現在この絵はUAEのアブダビ文化観光局が保有していますが、何故ここまで高値となったのでしょうか。
それはオークション形式ということは然ることながら、ダ・ヴィンチが残した絵画点数がそもそも少ないという理由が挙げられます。

その数、僅か10数点。

ダ・ヴィンチは「万能人」と称されるくらいです。
どの分野においても秀でており、それは芸術に留まりません。
建築、科学の分野でも活躍し、多忙を極めていました。
それゆえ絵画に注力した時間が少なく、現存数が少ないのです。

「アルジェの女(バージョン0)」1955年 油彩 114×146.4cm

対して、≪アルジェの女たち(バージョンO)≫です。
≪サルバドーレ・ムンディ≫に抜かれるまでこの作品はオークション形式で最高額でした。
その額、約1億7900万ドル(日本円換算約215億円)。

落札額では2倍ほど違いますが、この作者がほかならぬピカソです。
そして注目すべき点は彼が残した作品点数です。

ピカソは彫刻や素描などを含め、約15万点の作品を残しているのです。

ピカソの絵はなぜ希少性を下げないのか

約15万点という作品数はダ・ヴィンチと比較するまでもなく明らかに多いです。
ちなみに他の画家を例に出すと、ヴァン・ゴッホが約2千点、ルノワールが約6千点です。
当然、画家の死後、作品数が増えることはありません。
だから希少性が高まり、価値が上がっていくのです。
ではなぜピカソは作品点数が多いのに希少性を下げなかったのでしょうか。

生前より売れていた画家だから

まず多くの画家と決定的に違うのは生前より売れていた点です。
「描けば売れる」、このことはピカソの本質ではありませんが、彼の探求を後押ししたといえるでしょう。
また「売れた」という事実は一定の評価を得ていたとも言い換えられます。
それが生前だったため、死後も価値あるものを次々に世に出しやすかったといえます。

ちなみにヴァン・ゴッホは死後有名になった画家ですが、彼が生前売れた作品は1点だといいます。
そう考えると売れないという理由で「海の藻屑」のように消えた作品が多数あったのは想像できます。
反対にピカソの作品は価値あるものとして出発しています。
それゆえ、多くのコレクターに入手されてきました。
そして作品は引き続きコレクターの手元に留められたり、あるいは新しいコレクターへ再び価値あるものとして市場に評価され、流通されたりしています。
当然、この機会も他の多くの画家と比べ、多くなります。

セラミック作品
作風に固執しない

美術史上、ピカソの制作時期は「青の時代」「桃色の時代」「キュビズムの時代」「新古典主義の時代」「シュルレアリズム時代」と分けて呼ばれることがあります。
なぜでしょう。
繰り返しになりますが、分類できるほど膨大な作品数があるからです。
ピカソはその時々で彼自身が見ていたもの・求めていたものがまるで異なります。
それが作品の構成要素となり、今なお人々を魅了し続けています。
ピカソ91年の生涯のうち、大分類群が存在する理由も同じです。
それは多くの作品があるとともに魅了し続ける多様な作風があることを意味します。

絵画とは一点ものです。

異なる作風や希少性を備えている一点が他の画家より多数ある、そういったイメージでしょうか。

下がらないモチベーション

ピカソが天才たるゆえんは彼のなくならない欲求と向上心、それに好奇心です。
とにかく「意のままに描きたい」「試したい」という欲が衰えることなかったのです。
今風にいえば「モチベーション」でしょうか。
驚くべき点は他の画家が得られない名声や財産を生前から早々と得ながら、画家としての探求心や向上心、好奇心を失わなかったことです。
それどころか湯水の如く湧き出ていました。
ピカソは環境に一切甘んじることなく、モチベーションに一途であったのです。
名声あるまま、より良い環境で制作でき、良作を量産できたのは人間ピカソとしてのその土台があったからではないでしょうか。

セラミック作品
ピカソの絵は価値を越え、変化を求める存在

ピカソは約15万点という作品を後世に残しています。
彼自身がなぜその膨大な作品数を残せたのか、それは常に現在と真摯に向き合い、結び付いていたからでした。
その過程で新しい取組や対象、成果にだけ興味を持っており、逆にやり終えた取組や対象、成果に対しては興味がなくなっていたのです。
絵画購入とはある点で購入者に愛着を呼びます。
その意味で売却は離別です。
しかしピカソ風にいえば、購入は購入した時点で過去への執着なのかもしれません。
ピカソの好奇心は現在と結び付き、未来を切り開くものでした。
もし新しい好奇心と出会いたいとき、ピカソは迷うことなく離別を選びます。
それが万人に当て嵌まることでもありませんし、良いわけでも悪いわけでも決してありません。
ただピカソの絵を通して、ピカソの真髄を知る、それが今日ピカソから学び得る教訓だとしたら、愛着だけでなく離別も前向きな価値ある選択なのでしょう。

当社もこれまでピカソのように作品と真摯に向き合い、査定してきました。
もしお手持ちの作品を手放す御検討されているのであれば、一度御相談ください。
きっと未来を切り開く、前向きな価値を提供させて頂きます。

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