ピカソの売却をご検討でしたらまずは翠波画廊の査定額をお確かめください。
査定は無料
選ばれている理由

翠波画廊ではピカソの作品は人気がありとてもよく売れています。当画廊のお客様でピカソの特定の作品を探してほしいとのご依頼も多くいただいております。
そのため当画廊の絵画買取サイトではピカソの絵画(油彩・水彩・グワッシュ・版画・セラミック)の買取には特に力を入れております。
翠波画廊の買取サイトが、お客様の大切のされていた作品を気に入ってくださり大切にしてくださる次のお客様のもとへと橋渡しさせていただきます。
買取の流れ
STEP1
無料査定お申込み

査定フォーム、お電話、メールで作品の情報をお寄せください。
STEP2
査定結果のご連絡

お送り頂いた作品情報から、査定額をお出しして、ご連絡いたします。
STEP3
買取方法の選択

作品の配送、持ち込み、出張買取にて作品をお預かり。最終的な作品の確認を致します。
STEP4
お支払い

買取成立、現金またはお振込みにてお支払い。
買取り3つの約束

1.小売りで培った、まごころの接客絵をお買い求めいただくお客さま、絵をお売りになりたいお客様共にご満足いただけるよう、
お客さま第一で活動しております。
2.長年の実績から相場に基づいた適正な査定年間1500点ほどの作品を販売していく中で同数の作品の仕入れを行っております、仕入れで養った相場観をいかして適正な査定価格を出させていただきます。
3.大切にされてきた作品を次のお客様へと橋渡し家で大切にされてこられた美術品を大切にしてくれる次のお客様へと橋渡しさせていただきます。
お客様への3つの安心

1.ご相談、お見積もりなど、査定は無料今の相場を知りたい、買取価格を知ってから売却を検討したい等、お気軽にご相談ください。
ご相談は無料です。
2.8日以内ならキャンセル可能(出張買取時)8日以内でしたら、買取キャンセル、返品の対応をさせていただきます。
(店頭買取の場合は対象となりません)
3.個人情報保護、セキュリティ管理翠波画廊では、しっかりとしたセキュリティ管理のもと、お客様の大切な個人情報の徹底管理を義務付けております。ご安心ください。
ピカソ作品の査定ポイント
近年、世界的な人気が非常に高い状態は続いておりますが、価格は市場相場に応じて変動しております。少し時間が経っただけで変化してしまう可能性もございますので、お売りになる場合は、お早めにご相談ください。
油彩、パステルなど肉筆作品の査定ポイント

ピカソにかぎらず買取価格や作品相場は図柄によって大きく変わってきます。
多種多様なモティーフを描いた作品の中でも、闘牛のほか、女性など、人物を描いた作品は人気もあり一般的に相場も高く、高価買取させていただきます。
油彩の場合、画面上にヒビや割れなどがないかを見させていただきます。状態が悪い場合は修復が必要となる場合もあり、そうなると査定額は下がってしまいます。
また、ピカソ作品には贋作も多く、翠波画廊ではピカソの肉筆作品は、ピカソの鑑定家、クロード・ピカソの鑑定書が付いているものを取り扱っています。買取を希望されているピカソ作品に鑑定書が付いていない場合は翠波画廊が鑑定書を取るためのお手伝いをいたします。もし、鑑定書が付いていなくても鑑定書が取れた場合の現在の相場、買取価格をお伝えいたしますので気軽にご相談ください。
<特に高価買取対象図柄>
・闘牛、女性、銃士、鳩など
<保存状態>
画面上にヒビや割れなどがないかを拝見します。 状態が悪い場合は修復が必要となる場合もあるため、査定額が下がります。
版画作品の査定ポイント

モチーフについては、油絵と同じく、人物画や闘牛はもちろん人気もあり、相場・買取価格が高くなります。
翠波画廊では版画も高価買取させていただいておりますが、版画作品の場合、経年による色の退色、湿気からくるカビでシミが出てしまった場合などマイナスの査定になってしまいます。画像をお送りいただいた段階で、色の退色はおおよそみることができるのですが、薄いシミなどは画像だけでは分からないことがあります。
画像をお送りいただいた段階では相場をお知らせし、問題が無ければそのお値段で買取させていただいておりますが、現品を拝見してシミなどが見つかった時には価格が下がってしまうこともございます。

左下にはエディションが入っています
<高価買取対象図柄一例>
闘牛、女性、ピカソの自筆サインが入った作品
<技法>
リトグラフ、銅版画、木版画など
<保存状態>
折れや汚れ、経年による退色や、湿気からくるカビでシミが出てしまった場合などは価格が下がります。
ピカソ作品の作品登録・照会機関

ピカソは生前から人気が高く、その分贋作も多く出回っています。
翠波画廊では、油彩、水彩、素描などの肉筆画は、ピカソの鑑定家、クロード・ピカソの鑑定書が付いているものだけを取り扱い、ご紹介しています。
パブロ・ピカソ 略歴
1881年 | パブロ・ピカソ、スペインのアンダルシア地方マラガに生まれる(10月25日)。父、ドン・ホセ・ルイス・ブラスコはサンテルモ工芸学校の図画教師。母、マリア・ピカソ・ロペスはアンダルシア出身。 |
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1891年 | 父の教えるダ・グワルダ美術工芸学校に通う。 |
1895年 | バルセロナで父が教えていたラ・リヨンハ美術学校に入る。 |
1897年 | マドリッドの美術展で「科学と恩寵」が受賞。最初の個展。マドリッドのサン・フェルナンド王立美術学校上級に入学。 |
1900年 | ピカソ、最初のパリ旅行。画商マニャックと契約。 |
1901-04年 | 青の時代 |
1901年 | 2度目のパリ旅行。ロートレック、スタンランの影響をうける。ヴォラール画廊で個展。この頃から”Picasso”のサインをするようになる。 |
1902年 | 3度目のパリ旅行。パリのベルト・ウェール画廊で個展。ヴォラール画廊で個展。 |
1904-07年 | バラの時代 |
1904年 | 4度目のパリ滞在。モンマルトルの「バトー・ラヴォワール(洗濯船)」に住む。銅版画「曲芸師(レ・サルタンバンク)」シリーズの制作をはじめる。 |
1905年 | ピカソ、アポリネールと会う。ガートルード・スタインやシチューキンなど何人かの蒐集家があらわれる。 |
1906年 | アンリ・マティスと会う。 |
1907年 | ブラック、ドランと会う。 「アヴィニョンの娘たち」完成。画商ダニエル・ヘンリー・カーンワイラーと契約をむすぶ。セザンヌの回顧展に感銘をうける。 |
1909-18年 | キュビズムの時代 |
1909年 | クリシー通りに移る。分析的キュビスムの作品を制作。ドイツで最初の個展。 |
1911年 | パブロ・ピカソ、ニューヨークで最初の個展。 |
1912年 | イギリスで最初の個展。コラージュの制作をはじめる。 |
1918-25年 | 新古典主義の時代 |
1922年 | 第1回シュールレアリスム展に出品。 |
1930年 | 「ピカソ夫人像」がカーネギー賞を受ける。ヴォラール・シリーズの版画を制作しはじめる。37年完成。 |
1931年 | ロンドンで「ピカソの30年」展。 |
1932年 | パリとチューリッヒでピカソ大回顧展。 |
1936年 | スペインに内乱勃発、ピカソは人民戦線を支持し、プラド美術館館長となる。ドラ・マールと交際をはじめる。 |
1937年 | 「フランコの夢と嘘」を刊行。グラン・ゾーギュスタン通りにアトリエをもつ。「ゲルニカ」を制作し、パリ万国博のスペイン館に展示。 |
1939年 | ニューヨーク近代美術館で「ピカソ芸術の40年」展。 |
1942年 | ビュフォンの「博物誌」の挿画制作。 |
1944年 | サロン・ドートンヌに戦争中の作品を発表。ピカソ共産党に入党。 |
1945年 | ピカソ、リトグラフに熱中。この頃から南仏に長く滞在する。 |
1946年 | ヴァロリスで陶器をはじめる。 |
1950年 | ヴェネチア・ビエンナーレで特別陳列。「鳩」のポスターを制作。 |
1951年 | 東京で初のピカソ展。 |
1952年 | 「戦争と平和」を制作。 |
1953年 | ローマ、ミラノ、リヨン、サンパウロで大回顧展。フランソワーズと別れる。 |
1954年 | 「アルジェの女たち」を制作。 |
1955年 | カンヌへ移る。パリとミュンヘンで大回顧展。 |
1956年 | 同じくケルンとハンブルグで大回顧展。ロンドンで「ピカソの版画50年」展。 |
1957年 | ニューヨーク近代美術館で「ピカソ75歳記念」展。神奈川県立近代美術館でピカソ版画展。 |
1958年 | パリのユネスコ会館に「堕天使」を制作。リノカット版画をはじめる。 |
1959年 | べラスケスに基づく「ラス・メニーナス(宮廷の女官たち)」を発表。 |
1960年 | ロンドンで大回顧展。 |
1961年 | 東京でのピカソ版画展。「草上の食事」を発表。 |
1962年 | ニューヨークで、ピカソ80歳記念展。東京で「ゲルニカ」展。 |
1964年 | カナダのトロントとモントリオールで「ピカソと人間」展。「画家とモデル」「サビヌの女の掠奪」を発表。東京、京都、名古屋で大回顧展。 |
1966年 | パリで85歳の記念大回顧展。ロサンゼルスで「ピカソ版画の70年展」。 |
1967年 | ロンドンとニューヨークで彫刻と陶器展。シカゴのシヴィック・センターにモニュメントを制作。 |
1968年 | 「347点の銅版画」展がパリ、トロント、シカゴで開催。 |
1969年 | 同展、日本、ロサンゼルス、等で開催。ピカソの帰国と「ゲルニカ」の展示を要請したスペイン政府に対して、拒否を声明。 |
1970年 | バルセロナのピカソ美術館に約900点の作品を寄贈。ミュンヘンで版画展。ニューヨークで大版画展。アヴィニョンで近作展。東京、大阪、名古屋で「ピカソ、100点のエロチカ」展。 |
1971年 | 東京、大阪等で「ピカソ、女性たち」展。 |
1972年 | ロンドン、パリ、ニューヨーク各地で「オマージュ・ア・ピカソ」展開催。 |
1973年 | 4月8日朝アルプ・マルチーム県ムージャンのノートルダム・ド・ヴィの自宅で死去。遺骸はヴォーヴナルグ城の庭に埋葬される。 |
買取強化作家
20世紀巨匠
現代美術(コンテンポラリーアート)
日本画家
出張買取地域
作品の点数によっては、
出張買取も致しております。

北海道
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