シャガール作品の査定ポイント
近年、世界的な人気が非常に高い状態は続いておりますが、価格は市場相場に応じて変動しております。少し時間が経っただけで変化してしまう可能性もございますので、お売りになる場合は、お早めにご相談ください。
油彩、パステルなど肉筆作品の査定ポイント

買取価格や作品相場は図柄によって大きく変わってきます。 シャガールブルーと呼ばれる青が特徴的に使われている作品や、シャガールが魅了されたサーカスモチーフの作品など、人気のある図柄は相場も高く、高価買取させていただきます。 油彩の場合、画面上にヒビや割れなどがないかを見させていただきます。状態が悪い場合は修復が必要となる場合もあり、そうなると査定額は下がってしまいます。 翠波画廊では、シャガールの肉筆作品は、コミテ・マルク・シャガールの鑑定書が付いているものを取り扱っています。買取を希望されているシャガール作品に鑑定書が付いていない場合は翠波画廊が鑑定書を取るためのお手伝いをいたします。 もし、鑑定書が付いていなくても鑑定書が取れた場合の現在の相場、買取価格をお伝えいたしますので気軽にご相談ください。
<特に高価買取対象図柄>
花束、カップル、サーカス
<保存状態>
画面上にヒビや割れなどがないかを拝見します。 状態が悪い場合は修復が必要となる場合もあるため、査定額が下がります。
版画作品の査定ポイント

版画については直筆サイン入りの作品を積極的に買取しております。 作品としては、特に人気のあるダフニストクロエやサーカス、パリシリーズなどは相場・買取価格が高くなります。 リトグラフポスターでも、三大ポスターと呼ばれる「魔的」や「カルメン」「ロミオとジュリエット」などは需要も高いため、高価買取させていただいております 版画作品の場合は、経年による色の退色、湿気からくるカビでシミが出てしまった場合などはマイナスの査定になってしまいます。画像をお送りいただいた段階で、色の退色はおおよそみることができるのですが、薄いシミなどは画像だけでは分からないことがあります。 現品を拝見してシミなどが見つかった時には価格が下がってしまうこともございます。

<高価買取対象図柄一例>
ダフニスとクロエのシリーズ、サーカス、パリシリーズ
魔笛、カルメン、ロミオとジュリエットなど
シャガールの自筆サインが入った作品
<技法>
リトグラフ、銅版画、木版画など
<保存状態>
折れや汚れ、経年による退色や、湿気からくるカビでシミが出てしまった場合などは価格が下がります。
シャガール作品の鑑定機関

シャガールは生前から人気が高く、その分贋作も多く出回っています。 翠波画廊では、油彩、水彩、素描などの肉筆作品は、公式の鑑定機関とされるコミテ・シャガールの鑑定書付きのものだけを取り扱いご紹介しています。
翠波画廊では、シャガール作品の販売も行っております。
シャガールの絵画・版画作品のご購入をお考えの方は、お気軽にご相談ください。販売作品一覧はこちら
3つの約束
約束
1
小売りで培った、
まごころの接客
絵をお買い求めいただくお客様、絵をお売りになりたいお客様共にご満足いただけるよう、お客様第一で活動しております。
約束
2
長年の実績から
相場に基づいた適正な査定
年間1000点ほどの作品を販売していく中で同数の作品の仕入れを行っております。仕入れで養った相場観をいかして適正な査定価格を出させていただきます。
約束
3
大切にされてきた
作品を
次のお客様へと橋渡し
家で大切にされてこられた美術品を大切にしてくれる次のお客様へと橋渡しさせていただきます。
3つの安心
安心
1
ご相談、
お見積もりなど、
査定は無料
今の相場を知りたい、買取価格を知ってから売却を検討したい等、お気軽にご相談ください。ご相談は無料です。
安心
2
8日以内なら
キャンセル可能
(出張買取時)
8日以内でしたら、買取キャンセル、返品の対応をさせていただきます。(店頭買取の場合は対象となりません)
安心
3
個人情報保護
セキュリティ管理
翠波画廊では、しっかりとしたセキュリティ管理のもと、お客様の大切な個人情報の徹底管理を義務付けております。ご安心ください。
マルク・シャガール 絵画買取の流れ
STEP1
無料査定お申込み

STEP2
査定結果のご連絡

STEP3
買取方法の選択

STEP4
お支払い

シャガールはなぜ“愛”に向き合ったのか
“愛の画家”とは?
「愛と幻想の画家」として世界的な知名度を誇り、ピカソと並ぶ20世紀の巨匠マルク・シャガール。
世界のあらゆる場所で展覧会が開催され、人気とともに常に市場価値も高く変動も少ないため、資産的価値も見込める上質な作品の数々が知られています。
唯一無二の鮮やかな色彩で、浮遊する恋人たちや、サーカス、宗教などをテーマに独自の画風を確立し、その幻想的で愛情にあふれた作風は、最愛の妻ベラや、故郷ヴィテブスクからインスピレーションを得て作り出されました。
観る人を夢のような美しい世界へと誘うシャガールの作品は人種も時代も越え、世界中の人に愛されています。 そんなシャガールを語るとき、避けられないのは「愛」です。

シャガールが、最愛の妻ベラと紡いだ「愛」の物語は、彼の作品に表れています。
妻となり、数多くの作品の中に繰り返し登場するベラ・ローゼンフェルトはシャガールと同じ旧帝政ロシア(現ベラルーシ)のヴィテブスク(ヴィーツェプスク)でユダヤ人として過ごします。 ただ同じユダヤ人でもベラは裕福な家庭出身で、シャガールは貧しい環境で育ちました。 シャガールからしてみれば、いわゆる「高嶺の花」でしたが、成就し、親の反対も振り切り、結婚、その成就した愛を一途に貫いたのです。 当然、「愛」とはシャガールが絵を制作する上で原動力となり、またそんな彼の作品を多くの人に共感をもたらすものとして介在したのでした。
シャガールにとっての“愛”とは?
では画家シャガールにとっての「愛」とは妻ベラのみに向けたものだだったのでしょうか。
「愛」とはベラに向けられたものだけでなく、制作と向き合うことで導かれる、信仰の姿そのものでした。
シャガールは、20世紀初頭、芸術が花開いたパリで活躍した画家でしたが、作品のように華やかな人生では決してありませんでした。
実際はパリに出てから故郷に戻ると同時に第一次世界大戦が起こり、祖国ロシアにいる間はロシア革命が発生。 その後再びパリに行くものの、ナチスのフランス侵攻に遭遇。 ユダヤ人であるシャガールは、その迫害を恐れてアメリカへ逃れますが、アメリカでもロシア出身の画家としてFBIに監視されてしまいます。
その亡命先のアメリカで最愛の妻、ベラを亡くします。 理由は感染症ですが、戦争による薬不足という戦争に遠からず関わるものでした。
シャガールを取り巻く環境は、まさに激動の世界であったといえます。 そんな時代を生きていた人間からしたら、むしろ絶望や期待の裏切りが普通だったのではないでしょうか。
他人からだけでなく、街や国、社会からの裏切り――。 シャガールにとって一途な愛を貫いたというより、むしろそんな愛に縋り、貫かざるを得なかったのかもしれません。

希望を与える色彩
戦争が終わり、65歳となったシャガールはロシア系ユダヤ人のヴァランティーヌ・ブロツキーと再婚します。 シャガールは愛という原動力によって希望のみならず絶望に向き合うのでした。
彼は絶望に目を逸らすのでなく、向き合い、目指した画家でもあります。 このような受難の人生においても、真摯に芸術を愛し、家族を愛したシャガールだったからこそ、観る人に希望を与える色彩豊かな作品を生み出すことができたのです。
シャガールの孫で、シャガールの著作権を管理するシャガール委員会の副会長も務めるメレット・メイヤーさんは「シャガールは、意識的に夢を見る人だった、と言えるでしょう。彼の作品を見た人に夢のような印象を与えるには、現実的な苦労があった。道化師が観客に笑われるために、その裏ではたいへんな努力をするのと同じことです」と語ります(「芸術新潮」取材より)。
意識的に夢を見る、すなわち、自分の作品を観る人のことを常に意識して、夢を描いていたのです。
いつ何が起こるかわからないという危機感の中で生き、それでも前を向くことを忘れずに、よりよい作品を求めて日々描き続けたシャガール。 97歳で亡くなる当日までアトリエで描き続けた画家の作品には、どれも画家の信じた愛、未来への希望で溢れています。
マルク・シャガール 略歴
MARC CHAGALL
1887年 | 7月7日ヴィテブスク生まれ。両親はユダヤ人。 |
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1907年 | ぺテルスブルグの美術学校で学ぶ。 |
1910年 | 13年以後、詩人ブレーズ・サンドラール、マックス・ジャコブをはじめ、レジェ、モジリアーニ、ドローネなどの画家と知りあい、アポリネールと親交を結び、アンデパンダン展に出品。 |
1914年 | ロシアに帰る。ベルリンで初個展。初期作品は印象派風だったが、ピカソを知り立体派に感化される。 |
1917年 | 革命後の故郷で美術人民委員に選ばれたが、マーレヴィッチとの不和でパリに戻る。やがて、明るさと思索性、神秘性をあわせたシュールレアリスム作風を確立。 |
1922年 | ベルリンへ寄り、版画家ヘルマン・シュトックを知り、銅版画技法を習得。 同年最初の銅版画「わが生涯」を出版者カッシラーの依頼で制作。 |
1923年 | パリへ渡る。ヴォラールの依頼によりゴーゴリーの「死せる魂」及び、ラ・フォンテーヌの「寓話」の銅版画を制作。 |
1931年 | ヴォラールの依頼で壮大な主題「バイブル」に取り組むためパレスチナへ旅行。 |
1939年 | カーネギー賞受賞。 |
1945年 | ニューヨーク近代美術館及びシカゴ・アート・インティテュートで回顧展開催。 |
1954年 | ギリシャへ旅行。カラー・リトグラフ「ダフニスとクロエ」の仕事開始。 |
1956年 | サーカスをテーマにリトグラフを制作。銅版画「バイブル」を発表。 |
1958年 | 「デッサンバイブル」カラー・リトグラフ25点制作。(60年発表) |
1963年 | パリ・オペラ座の天井画制作。東京、京都で大回顧展開催。 |
1965年 | カラー・リトグラフ「エクソダス」制作。 |
1967年 | 生誕80周年を記念チューリッヒ、ケルンで大回顧展開催。ルーブル美術館で「聖書の使命」展開く。 |
1976年 | 東京国立近代美術館で個展を開く。 |
1985年 | 死去。 |
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