アートコラム Column

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パリ通信

Vol. 2 パリ、劇場の街

-Paris, la ville du théâtre-

パリ十八区アベス界隈、十一時。もうすぐ日付が変わろうとしているのに、通りのカフェは楽しげにお喋りに興じる人たちで溢れている。細くうねった坂道の多いここモンマルトル地区、テアトル観賞後の興奮を冷まそうと一息つける場所を探して歩いていたのだが、どこもかしこも満員なのだ。

「まったく東京じゃ考えられないね、舞台の夜の部が終わってからじゃ普通の店なんてだいたい閉まってる。それに今日は平日だろう?」三日前、パリに着いたばかりのT氏は眼を丸くする。

「まだまだこれからって感じだわね」とS夫人。三月の終りを境に夏時間になってから、一日一日と日は長くなるばかり。最近では夜十時なっても夕方と見間違うくらいの明るさだ。「それにこの空の色」と、S夫人は行く手に広がる巨大スクリーンのような空を見あげる。

「水にインディゴのインクを溶かしたとでもいうのかな。昼でもなく夜でもなく。」

 そうなのだ、この時間の観念を無くしてしまうほど幻想的で、いつまでも眠らない昼を惜しむような空が、パリの夏の空なのだ。

 

(1) THEATRE 小さな商店やカフェ、屋台がひしめき合い、ピガールのX歓楽街からもそう遠くないこの雑多な界隈の、細い急な坂を登ったところにテアトル・ド・アトリエ(Théâtre de l’Atelier/アトリエ劇場)はある。1822年創設というからその歴史は古く、現在パリ市の歴史的建造物にも指定されている。マロニエの木立の中にひっそりと建つ白亜の《瀟酒な小劇場》といった外観は、この界隈の猥雑さとは一見そぐわない。建物がある広場の名称にもなっている俳優で演出家のシャルル・デュランは、1922年「我々が生きるところの20世紀(現代)についてのみ語る」という、当時相変わらず古典が主流であった演劇界では非常に先進的なコンセプトでこれまでのやり方を一新する。デュランはジュール・ロマンやコクトーといった時代の先鋭の作品をつぎつぎに世に知らしめ、後に映画界で活躍することになる(バルドーやベルモンドなど)多くのスター俳優も見いだした。それは現在の《アトリエ劇場》という名の由来のまま、時代の底流を表現する「実験的なアトリエ(工房)としての劇場」というディレクションでそのまま受け継がれている。ガルニエ、バスティーユの二つのオペラ座、コメディフランセーズ(フランス座)、その他数々の国立大劇場が華やかに君臨するパリだが、傍ら目立たなくはあっても、こうして一人の革新的なインデペンデントから始まり、確実に時代の流れをつくってきた小中劇場の歴史がこの街にはある。底が厚いのである。

 

 この日は今年生誕百年にあたるマルグリット・デュラスの名作《サヴァナベイ》を観に来た。デュラスもまたフランスが生んだ二十世紀の怪物だ。ここでは二月からの上演で彼女の三作品《辻公園》《プレジデント》《サヴァナベイ》を俳優のディディエ・ブザースが演出を手がけ、それぞれに異なったフランスの名優たちが演じている。世界中にコアなファンを持つデュラス作品は、東京でも同時期に草月ホールで映画の上演と講演会が行われたようだが、戯曲のリアル舞台ともなれば言葉の問題もあるので難しい。東京に住む大のデュラスファンの友人は、パリ公演の話を聞いてとても羨ましがったが、今回ばかりはこの時この街に居合わせた身の幸運に感謝したものだ。さて、S夫人はフランス語を多少は理解しデュラス作品の造形も深い方であるから問題はないとして、ご主人のT氏は行く前から「大丈夫かなぁ、最前列席でうとうと眠ってしまったんじゃ失礼きわまりないよ」と何やら心配げである。

 フランス人というのは普段は無類のお喋り好きなのに、こと映画や舞台鑑賞となると人格が変わる。大切なシーンで紙袋をいじったり小声で話をする無粋な客が居れば、あからさまにそちらを睨みつけて「シッ!」と鋭い口調でたしなめる。それほど真剣に芸術を観賞することに向き合っている、ということだ。

 劇場の扉が開いて、入り口付近で「プログラム(はいかが?)プログラム!」と呼びかける声が、いよいよこれから始まる気分をかき立てる。黒服を着た案内人に「マダム、ムッシューようこそ」とうやうやしく席に導かれるのもまたフランス式。(間違っても焦って自分から席に急いではなりません!)

 会場には名の知れた批評家や俳優家族、大学で教鞭をとる懐かしい哲学のC教授の姿も見える。とはいえ、徐々に高まる気持とは裏腹に(もしも途中T氏が耐えきれず眠けに襲われるような事があったなら、、どうか恐ろしい寝息などたてませんように!)などと、ひそかに心の中で願う妙な緊張感を持っての開演となった。

(2) THEATRE 9時きっかりに開演のベルが鳴ると「マダム、ムッシューお静かに!これから舞台が始まります」と劇場支配人らしき人物が声高に云う。三階建ての半円型の劇場はオーケストラ席から天井桟敷まですべて埋まり、その全体が息をひそめて最初のアクトを待つ瞬間。少しするとどこからか静かな波の音が聞こえる。ああ、デュラスの世界!引いては寄せる波の音が耳の底にのこり、会場全体に静寂が行き渡ったあと、舞台中央の光の中から真紅のガウンを纏ったマドレーヌ役のフランスの名優エマニュエル・リーバが忽然と現れる…。

 それから時が過ぎるところ一時間と五十分。始まりから終わりまで、リーバが最後の台詞を言い終わるその瞬間まで、眼も耳も逸らすことの出来ない一時間五十分であった。割れんばかりの拍手と「ブラボー!」の嵐の中幕は閉じられる。エマニュエル・リーバはデュラス作品の常連、デュラスを日本でも一躍有名にした《ヒロシマ・モナムール》のヒロインと云ったら解るだろうか?フランス人なら誰でも知っているという名女優、あとで知ったのだが今年御歳八十七才というから驚きだ。

 劇場の二階は開演前やアントラクト(休憩時間)に利用する感じの良いカウンターバーになっているが、これで今日の舞台は終わりなのでバーもお終いだ。バーマンに「ア、ラ、プロッシェンヌ(また今度ね)」と見送られ、再び饒舌になっている観賞客たちに押し出されるようにして外に出る。ひんやり湿り気を含んだ夜風が気持良い。

「いやいや,素晴らしかった」少し歩いたところで最初に口を開いたのはT氏だった。

 そうだ、T氏。すっかり忘れていたが、そのくらい自分も舞台に入り込んでいたということだ。

「あっという間だったよ。寝てる暇なんかなかったね」S夫人はそうでしょう、そうでしょうと云わんばかりに頷いている。S夫人は立場上コンクールの審査員など良く引き受けられるのだが、以前ドイツ語の詩の朗読コンペで外国人たちを審査したことがあるが、言葉はまったく解らずとも良いものは即響いたというのだ。

 われわれは曲がりくねった坂道を上り、さらに歩き、とうとうアベスの教会広場まで来て、やっと一つ空いているテーブルがあるのを見つける。 足りない椅子を隣りのテーブルから一脚調達し、忙しく動き回るギャルソンを捕まえて「白ワイン」「ハイネッケン」「モヒート!」と素早く注文したところで、やっと一息つく。

「しかしフランス人ってのは良く喋るよなぁ」T氏はひたすら喋りつづけている(ように見える)周りのテ—ブルの客を見渡して、感心したように半ば呆れたように云う。

「無口なフランス人ってのは居ないのかな?」そんな人居たかな?探せばどこかに居たかもしれない。

しかし、彼らはたった一人のお喋りを黙って忍耐強く聞く、などと云うようなことは決してしない。次から次へと合の手を入れ、誰かが話していても同時に話すなんて当たり前、つまらない話し手などたちまちどこかへ追いやられてしまう。そんなことを考えていたら、不意にオペラコミック劇場で観たオッフェンバッハのオペラブッフ《ラ・ヴィ・パリジェンヌ》を思いだした。そこでは皆が皆主役、階層の関係などない。貴族も乞食も酔っぱらいも、それぞれがそれぞれの歌を声高に歌い、その実絶妙な間がありクレシェンドあり。そう、あれこそフランス人の会話の原型ではないか。ギャルソンが注文のグラスを無造作にテーブルへ置いていく。忙しいので勘定をすぐにしても良いか?と聞く。まだまだ客は入って来る、席を発つ者は少ない。空は明るい紺色で、昼でもなく夜でもなく。こうしてパリの夏の夜はつづく。

(3)ABESSE     (4)MOJITO

 

(文/写真 河村真奈)


河村 真奈

河村 真奈

[ Mana Kawamura ]
多摩美術大学油画・版画専攻卒業後、1992年に渡仏。レンブラント、ゴッホ、印象派の研究で知られる美術史家パスカル・ボナフ氏に師事し、パリ第八大学で博士号前課程DEAを取得。その間ヨーロッパでの生活経験をもとに、旅、美術、食文化などをテーマにした紀行文やフォトエッセイを発表する。2005年日本旅行作家協会主催エッセイ大賞受賞。パリでは日仏児童を対象にした《日本語よみきかせのアトリエ》や美術とフランス語に親しむ文化講座を主催している。2013年よりブリュッケ(翠波画廊)パリスタッフとしても活躍、フランスからアート情報を届けている。

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